「……………ふぅ」
夜、満月の下で。
プラチナの部下であるジルは寒空の下、煙草を吸っていた。
だが自然と寒い、などと思う事はなかった。
こんな寒さ、山奥で暮らしていた時に慣れていたから。
(……山奥、か……)
そういえばここ最近あの山小屋にも帰っていないな…と思い出した。
継承戦争の真っ只中だ。山小屋に戻っている時に主が危険に曝される可能性だってある。
ちょっとした油断が命取りになる事をジルは知っていた。
だからしばらく家にも戻らず、テントで生活しているのだが。
(窮屈だな……)
たまにそう思う事が、ある。
窮屈だと思う理由はよく分からないがおそらく自由な事が出来ないからであろう。
戦闘が起こればすぐさま駆けつけなればならない。
(……だがこれは俺が決めた事)
あの王子―プラチナについて行くと決めた以上、責任を取らなければならない。
たとえ死という危険性がすぐ傍にあるとしても、自分は彼を守らなければならない。
プラチナ王子を奈落王に即位させる事―それがジルの使命。
だから呑気に家へ帰りたいなどと言えないのだ。
(だが……この煙草は気晴らしになったな…)
ジルはそう思いながら、煙草の箱を眺める。
この煙草はジェイドから支給されたもの。
「気晴らし程度にどうぞ」などといつものように冷たく言いながら貰ったものだ。
貰った煙草はマルボロ・ライト。赤マル。
ジルは基本的に煙草の種類に拘らないのでマルボロも吸えた。
拘らないと言っても煙草というのは種類が豊富で中には合わないものもあるのだが
マルボロはジルの体には合っていた。
それほど苦いわけでもなく、柔らかでコクのあるふくよかな味が気に入っていた。
1本吸い終わったので、ジルはポケットからマッチを取り出し新しい1本に火をつける。
ボッ……と音がすると煙草の先端に火がついた。
ジルは口に咥え、煙草を味わう。
「…………」
そして息をふぅ……と吐く。
煙草はいつ吸っても良いものだ。
特に疲れてる時などは落ち着く。
(肺が犯されてるかもしれんが……一度癖になると止まらないものだな)
そんな事を思いつつ、ジルは空を見上げる。
雲1つない夜空。満月が地上を優しく照らしている。
冬が近い所為か息を吐くと白い息が出る。
もうすぐ冬か……などと思っていると。
「おや、ジルじゃないか。何をしてるんだい、こんな所で?」
聞き覚えのある声がした。
少年特有の少し高めの声で自分に話し掛けるその人物。
姿形は少年そのものだが実際には自分より長く生きている賢者という存在の彼は。
「………マスター」
「久しぶりだね、ジル。……って疲れてるみたいだねー…」
ベリルはそう言いながらジルの周りに溜まっている煙草の捨てがらを見つめる。
ジルは一度癖になると止まらないと先ほど呟いていた通り、大量に煙草を吸っていた。
もう少しで1箱空になるほどだ。
「……一度吸うと止まらないんですよ。…疲れていますし」
そう言いながらジルはふぅ……と息を吐く。
そんなジルをベリルは苦笑しながら眺めた後彼の隣に腰掛けた。
そうして笑みを浮かべながら、手を差し伸ばす。
「僕にもくれるかな?」
「……マスターは吸えるのですか?」
そういえば彼の煙草を吸っている姿を見た事がない事を思い出し、質問する。
するとベリルは「そうだねー……」と唸りながら余裕たっぷりに口を開く。
「吸える事は吸えるんだけど本当にたまにだからねー……お酒の方が僕は好きだし」
「……本当に吸えるのですか?」
たまにという言葉を耳にし、ジルは眉を潜める。
吸えるふりをして吸って具合でも悪くされたら困る。
そういった配慮も考えながら聞いているのだが。
「吸える吸える。だから頂戴。」
「………」
心配をよそにベリルの方は呑気だった。
ジルは仕方がなく、マルボロの箱を差し出す。
ベリルは箱から1本を取り出し、ジルから奪い取ったマッチで火を付け先端に灯す。
ボッ……という音がしたと思うと口の中でふかし、ふぅ……と息を吐いていた。
「……肺まで吸い込まないのですか?」
「体に悪いからねー。…口の中でふかすだけにしてる。」
「………」
もしかして肺の中まで吸い込むと咳き込むのではないだろうか。
そう思うとどうしてもベリルが煙草吸えないように見える。
(やはりお止めすべきだったか……)
そう思いつつベリルを眺める。
だがベリルの方は楽しそうに煙草を味わっているようだ。
この表情を見ると本当に吸えるのか吸えないのかどうか分からない。
「………」
相変わらず読めない主君にジルは密かにため息をついた。
(まぁ吸えると申されているのだし……吸えるのだろう)
そう思う事にしてジルは深く考える事を止めた。
しばらくお互い黙って煙草を吸っていると、ベリルが唐突に話し掛けてきた。
「そういえば…そっち側はどうだい?上手くやってる?」
「……上手くやっている、というと?」
「継承戦争の事についてに決まってるじゃないか。…どうなんだい?」
「……まぁそれなりには。マスターは如何ですか?」
「そうだねー……僕もまぁ、それなりにね」
そう言いながら、ジルの方には目も向けず満月をただずっと見つめていた。
「………」
何か思う事があるのだろうか…などと思いながら主を見つめていると。
「……一体どっちが、僕の役目を受け継いでくれるんだろうね」
「…………」
そう呟いたベリルの表情はどことなく寂しそうな気がした。
だがベリルがすぐに表情をいつものように戻したので
ジルは「どうかなされましたか?」と聞くタイミングを逃してしまった。
「見届けようじゃないか。……奈落の行き先を。」
そう呟いたベリルの表情は晴れやかで。
先ほど見た寂しそうな表情が嘘のようだった。
「……そうですね」
ジルはそういつものように呟くとベリルがふふ、と笑いだす。
突然笑い出した主を、ジルが不思議そうに見つめると。
「君は変わらないね……。相変わらず真面目な所とか、昔のままだ」
じっと見つめられながら、笑われる。
「………お褒めに与り光栄です」
「あはは。褒めてないよ〜むしろ貶してる」
「………」
ベリルはいつもこうだ。
いつも人をからかうような言葉を吐いたりするが、その表情はどこか寂しげで。
まるで自分をからかう事で何かを思い出しているような気がした。
ベリルはずっと黙って自分を見つめるジルの視線が辛くなり、一息吐くとふふ、と突然笑い出した。
「……嘘だよ、嘘。それが君の良い所だと思うよ」
ちょっと真面目すぎるかもしれないけどね。と付け加えてベリルは煙を吐いた。
ジルは俯きながら煙草を吹かしつつ、いつものように低い声で呟く。
「………自分はこういう性格以外、考えられませんから」
不真面目に事を運ぶ事はどうしても出来ない。
それは生まれながらに真面目だったのかどうだかは本人も憶えていないが
自分の大切な妻が死んだ時にはすでに、今の性格のままだった。
「……そうかい。」
まぁそうだろね〜と呑気に呟いた後、ベリルは急に真面目な表情になり
ジルをじっと見つめる。
その表情からこれから重要な事を話すのであろうと察し、ジルも表情を固める。
ベリルは煙草を口から離し、小さな声で呟く。
「……君になら任せられそうだね、僕の大切な息子を……」
大切な息子―それはおそらくプラチナの事であろう。
ジルは煙草を吸い終え、灰がらを地面に擦りつけ火を消すとそのまま吸うのをやめた。
そうして月を見つめながら、ある人を想う。
それは自分の今の主君である青の王子―プラチナ。
姿形は完璧なように見えて心は酷く脆い。
脆く儚い彼を守る事こそが、自分の使命。
そのためにはあの参謀―ジェイドから彼を守らねばならなかった。
彼は怪しい存在だ。プラチナを傷つける可能性のあるあの男。
ジルとジェイドは仲が良くなかった。
それはジル自身彼を警戒しているというのもあるがどうやら本質的に合わないようだ。
彼がもし裏切ったとなれば、プラチナの弱い心は傷つく。
生まれた時から傍にいた者ならなおさら。
(裏切る事がなければいいのだが……)
時たま不審な行動をする彼にこんな期待などしても意味ないのかもしれないが。
何か起きるよりは、何も起きない方が良い。
ベリルもジェイドが怪しい事を理解しているのだろう。
だから自分に警護を任せたのだと、ジルは思う。
やがて視線をベリルに向けるとジルは姿勢を変え、彼に跪いた。
「……命に代えてもお守りします」
たとえ命が危険に曝されたとしても、必ず。
そう決心してジルは言葉を発したのだがベリルは不服そうに顔をしかめた。
その表情の意味が理解出来ずジルは不思議そうに主を見つめていたが、やがて。
「そういう事言わないで欲しいなぁ…。君に人より少し長い時間をあげたんだから有効に使ってよ。
死なない程度に守ってくれるだけで良いよ…。……君がいないと僕が寂しいからね」
ベリルはそう、優しく呟いた。
その表情はいつも自分をからかう時のような悪戯めいた表情ではなく、少し寂しそうな表情だった。
自分の事を気遣ってくれているのだろうか。
「………勿体無いお言葉、感謝いたします」
内心喜びはしたものの、ジルはいつものように淡々と呟く。
そんな彼を見てベリルがクス、と笑うと煙草をその辺に投げる。
どうやら吸い終えたようだ。
ベリルは立ち上がり月をじっと見つめた後、ジルの方を向きながら言葉を発した。
「それじゃ僕はもう時間だから行くけど。……プラチナを宜しく頼むよ」
「御意」
ジルは頷き、主の命令を聞く。
数歩歩いた後、ベリルは「ああ、そうだ」と何かを思い出しジルの方に振り返った。
「ここら辺の灰がら処分しておいてくれないかい?自然は大切にしないとね」
「………了解しました」
笑顔でそう言われジルは辺りを見回す。
そこには大量の灰がらが地面に転がっていた。
最も、大量に吸っていたのはジルなのだが。
灰がらを見つめ言葉をつまらせたジルを可笑しそうに見つめながらベリルは微笑した。
そうしてまた歩き出し、振り返らず後姿を見せながら手を振る。
「次は戦場だね。ま、精々頑張ってくれたまえ。じゃあね。」
そう言い残し、ベリルは立ち去った。
「………」
1人残されたジルは地面に転がった大量の灰がらを黙って見つめた。
さすがに吸いすぎたか……と思い、空になった箱に煙草の灰がらを入れる。
そうしてゴミ回収をしながら、思う。
この継承戦争は一体どうなるのだろうか…と。
(嫌な予感が、するのだがな……)
何故こんなにも不安に駆られる理由はよく分からないが。
嫌な予感がするのだ。何かが動き出しているかのような、そんな感じが。
(……守らなくてはな。)
大切なマスターの息子であるプラチナを。
もう2度と、大切な人が目の前で死んでゆく姿は見たくない。
大切な妻を失った悲しみはもう2度と味わいたくない。
(……あの方はああ言っていたが、俺は命をかけるほど強く想わなければ、守れない……)
ベリルには悪いが命にかえても、守るつもりだ。
灰がらを拾った後、ジルはゆっくりと立ち上がり月を見上げた。
暗い暗い夜に月が光を照らしてくれるように、暗い奈落に光を照らす存在。
プラチナにはそんな存在になって欲しいと、強く願う。
(……守らねば。)
ジルは右手を強く握り締め、決意を固める。
大切な王子を守る、今はそれだけを考える。
柔らかい光を帯びた月が地上を照らす夜。
継承戦争への闘志を新たに、ジルはゆっくりと歩き出した……。
感想部屋