「ゼロス、お前の名前は誰がつけたのだ?」




難しい天使言語の本を読んでいたら、綺麗な顔立ちの天使さまがそう聞いてきた。
「………は?」
意識を本に集中させていた所為かゼロスは質問の意図がわからなかった。
いや、普通に会話中にそんな事聞かれても理解しなかったかもしれない。
あまりにも唐突な質問だったので、呆然とクラトスの顔を見つめる。
とりあえず何故そんな事を聞くのか甚だ疑問だった。
「あのさ、天使さま。…今俺さま達お勉強の最中じゃないの?」
そう、今ゼロスは天使言語について勉強中。
今日の勉強と、先ほどの質問が繋がる…という事は高確率でありえなかった。
すると目の前の天使―クラトスは「あぁ」と呟くとすぐさま本を閉じた。
「先ほどから欠伸ばかりなので疲れたのかと思い、
授業と関係のない事を聞いてみたのだが…唐突すぎたか?」
「うん。」
ゼロスは遠慮なく、頷く。

例えば「少し休憩しようか」と先に言ってくれれば、
少しは話の理解が深まったかもしれない。
しかし今回の場合、天使言語を反復して読んでいた最中の出来事だ。
当然授業の一環だと思ってしまうだろう。
一瞬、質問の内容を「天使言語で言ってみろ」という意味かと思った。
「すまない。今の質問は忘れてくれ。」
クラトスは謝ると、「では休憩にしようか」と呟く。
その言葉を聞き終える前に、ゼロスはうん、と体を伸ばすと、
机の上に用意してあったクッキーを口に入れる。
ほのかな甘みが、勉強で疲れている体を癒してくれるようだ。
さすがはセバスチャン、甘み食感もゼロスの好みを理解している。
後で褒めてやろうかな、などと思いつつゼロスは姿勢を崩し、また一口入れる。
「…ゼロス、行儀が悪いぞ」
クラトスは顔をしかめながら、近くに用意してあった紅茶をカップに注ぐ。
頼んでもいないのに、ちゃんと二人分入れてくれる所が優しい。
さすがは慈悲深い天使さま、と心の中で呟くと
ゼロスは先ほどの質問を思い出す。



『ゼロス、お前の名前は誰がつけたのだ?』



(そういえば、誰がつけたんだろう…?)

普通なら父親と母親のどちらかだろうな、と思いゼロスは小さく溜息をつく。
昔の傷に触れないよう、あまり小さい頃の事を思い出さないようにしている所為か、
自ら父と母の事に触れると、少し怖い。
暗い、深い所まで落ちていきそうで、嫌なのだ。
(………名前、ねぇ…)
目の前にいつのまにか置かれていた紅茶を一口、口に含むと少し落ち着きを取り戻す。
あの雪の日の事を思い出さないよう、かつ名前の事を思い出そうと必死に頭を動かす。
だがどうしても、赤い母の姿を思い出してしまう。
かけられた呪いの言葉と、自分の存在を否定しているかのような、恨みがこもった瞳。
それしか、思い出せない。




白い天使の羽が舞い降りる。
そんな空間にゼロスはただ一人、目の前のモノを見ていた。
白い空間の中に一人の人間と、人ではないモノ。
幻想的な美しさと、醜悪さと、そして自分を見つめたまま瞬きすらしない瞳。
口から血を吐いていて、自分の顔に、滴のように滴る。

赤い髪に、薄汚れた滴。
白い世界に、汚らわしく流れるもの。
あまりの不釣合いな世界にゼロスは薄く笑った。
体だけは冷えているのに、流れる滴は何故だか温かかった――




「……ゼロス」
突然声をかけられ、ゼロスの体が大きく震える。
ゼロスの表情はまるで叱られた子供のようで、
怯えた目をしながら相手をじっと見つめる。
だが相手の顔を見るなり、すぐさま警戒を解く。
「……クラ、トス……?」
自分に微笑みかける事もないけど、怖い表情でゼロスを見たりしない。
そんなクラトスの顔が近くにあった。
「……私以外に誰がいるのだ。」
辺りを見渡すとそこは白い世界などではなく、見覚えのある自分の部屋だった。
色とりどりの花と、女の子からの貢物。
白い世界と呼ぶには不釣合いな風景がそこには広がっていた。
「……わり、ぃ。ちょっと寝てた……」
「………そうか」
クラトスはそう言うと、ゼロスに手をさし伸ばす。
「寝るならベッドで寝たほうがいい。…そのままだと風邪を引くぞ」
本気で自分の身を案じているのだろう、口調が普段とは違うような気がした。
そんなクラトスの態度にゼロスは思わず笑いそうになる。
(…本当に天使さまは優しいなぁ)
普通、ここで聞きたくなるのが人間という生き物だろうに。
この人の場合正確には元人間、だが。



クラトスなら、今の言葉が嘘だという事も理解出来ていただろう。
そして自分が一瞬だけ怯えた目でクラトスを見つめていたという事も。
この人は鈍感な所もあるが、的確に人を見る目があるとゼロスは思う。
他人には鋭いのに、どうして自分に対しては鈍感なのだろう―



ゼロスはクラトスの冷たい手を取り、立ち上がる。
しかしベッドへは行かず、クラトスの顔をじっと眺めると楽しそうに笑みを浮かべた。
「…今更だけどよ、さっきの質問の答え、知りたい?」
クラトスはほんの少し驚いた表情を見せる。
彼の中では終わった話になっていたのだろう。意外そうだ。
クラトスの表情を見て「してやったり」と思うと、声の量を抑え、小さな声で呟く。
「………俺さまの親父がつけたんだよ。あんまり一緒に過ごした記憶はないけど、
名前だけはつけてもらったって…聞いてる。」
「………!!」
クラトスの体が一瞬、震える。
指先でそれを感じながら、ゼロスはクラトスの表情の変化を見逃さなかった。
やがて強くゼロスの手を掴むと、「…そうか」と聞こえた。

「…名前は生まれた時、親から授けられるプレゼントだと聞いたのだが…
お前の父親はどんな気持ちで…お前の名前をつけたのだろうな…?」
彼は一体誰に聞いたのだろう。
そんな事を言うロマンチストな知り合いがいるのか、と聞いてみたかったが
ゼロスは咄嗟にクラトスの表情が少し暗い事に気がついた。
何かを堪える様に、自分の手を握っている。
…これは、もしかして。
いつも悲しい瞳をしながら見つめている、首にかけたペンダントの―

「……さあ?案外適当だったどうするのよ?」
少なくとも妹は自分の名前と合わせたような気がするが、
全然会う事もなかった父親が何を考えているかなんて、ゼロスには分からなかった。
むしろ、分かりたくなかったのかもしれない。
母をいつも寂しくさせていた、父の事なんか―

「…フ。そうかもしれないな……」
いつものようにニヒルな表情で笑うと、クラトスは「来い」と手を引っ張った。
そのまま連れられベッドの前に立つと、彼は毛布をめくり、準備をしてくれた。
「……………」
(やっぱり優しいなぁ、天使さま)
優しい、というより今この瞬間は、過保護のように思えて笑える。
普段は自分に関わりを持とうとしないのに、どうしてまた今日は優しいのか。
こっそり苦笑いしていると、クラトスは「ゆっくり休め」とベッドから少し離れた。

「待ってよ、クラトス。」
そんなクラトスにちょっと意地悪したくなって、ゼロスは彼を引きとめた。
捕まれた腕と、引きとめたゼロスを不思議そうに見下ろす。
「……どうせこの後、ウィルガイアに戻るだけだろ?
…俺さまに付き合ってくれない?悪いようにはしないからさ。」
「………」
にっこり、という単語が似合うような、爽やかな笑みを向けると、
クラトスは深い溜息を吐きながら、頭痛がしたのか頭を押さえている。
突然不機嫌になったクラトスを楽しそうに見ながら、
ゼロスはいつもの自分に戻れた気がした。



お調子もので女が大好きな、マナの血族。
馬鹿でどうしようもなく、黙っていれば二枚目のテセアラの神子。
下品な笑いの男、ゼロス・ワイルダー。
そんな皆が知っているゼロスに。



やがてクラトスは、ゼロスの手を無理やり払うと腰にあった剣を机の上に置いた。
そうしてさきほど自分がめくったベッドに腰掛けると、
ゼロスの顔を見上げ、いつものように淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「………日が暮れたら帰る。…それでいいな?」
確認を取るよう、ゼロスを見つめると、彼は唇の端をつり上げてふ、と笑う。
「うん、それでいいぜ。」
ゼロスは剣をその辺に置くと、ゆっくりと服を脱ぎながらクラトスに近づいた。
これから行う行為に、緊張も照れもない表情のクラトスを見て、
ゼロスはどんな事をしてやろうか、と考える。
何だか今の自分はむしゃくしゃしている。
自分が不安定な時に誰かを抱いたりするのはあまりしたくないのだが、
ここはクラトスの好意に甘えよう。
(俺の事、わかってるんだろうなぁ、クラトスは)
思わず苦笑したくなるのをこらえ、ゼロスはクラトスの頬をそっと撫でた。



本当に小さい頃からの付き合いだから、クラトスの事は分かる。
分かりたくない事も分かってしまうような、仲になってしまった。
でも互いの傷には触れ合わない、互いに干渉しない―
そうやって関係を保ってきた。
それ以上の関係は望まない。体だけの関係でいい。





きっとクラトスは、自分の知らない所へ飛びだつのだから。



―久しぶりに感じた人肌は、少しだけ冷たかった。





後書き(白文字)
100のお題で丁度ゼロクラが書けそうなお題があったので、書いてみました。
しかし背景可愛いですね。合ってるんだか合ってないんだか。
むしろ最後で性教育をしていたような(待てや)
多分ロイドはクラトスとアンナ、二人が考えたんだろうなぁ、
と思い、書いたネタ。ゼロスは神子である親父さんのような気がします。