ルーク・フォン・ファブレ。
自分の昔の名前であり、今この名前はアッシュのレプリカが名乗っている。
奪われたのではない、譲ってやったんだ。…そう威勢を張りながら、今に至る。
ルークという名前を心の中で呟いたアッシュは、ふと幼い頃バチカルで見かけた犬を思い出す。
確か種類は…ヨコーテといっただろうか。尾が太くて大きい犬だった。
あまりの大きさにナタリアはあの犬を見て驚いていたが、持ち前の好奇心には敵わず、
ヨコーテの頭を撫でてすぐ仲良くなってしまった。あれは一種の才能だと思う。
レプリカルーク―あれは犬に似ていると思う。
種類は確実にヨコーテではないだろうが
(俺もルークも、ガイや眼鏡―死霊使いジェイドに比べると身長が低い)
こっちが冷たく接しているのに、
何を考えているのか「アッシュ、アッシュ」とじゃれついてくる辺りが犬のようだ。
「犬は三日飼えば三年恩を忘れぬ」というがあいつもそういう性格の持ち主なのだろうか。
…自分なら余計なお世話だと切り捨てて三日で忘れるだろうが。
「はぁ……寒いなぁ…」
「………」
そんな事を考えながらとめどなく舞い落ちる雪と
ケテルブルクの晴れない曇り空を見上げていたら、
隣にいる張本人が寒そうに手を擦り合わせた。
間抜けそうな顔をしている。
こんな奴が自分のレプリカだと思うと悔しくて仕方がない…
初めて出会った時はそう思ったものだが。
「ふん、バチカルで呑気に暮らしていたから身体が鈍っているんだろう?」
呆れ半分意地悪半分でそう言ったら、
案の定ルークは口を尖らせながら「そんな事ねーよ」と反論した。
子供である。だが大きく反論しない辺り、
自分がアッシュから居場所を奪ったという引け目をずっと感じているようだ。
ルークはほどけていたマフラーを再び巻きなおすと
自分の身体を抱きかかえながらガチガチと震えた。
ケテルブルクは初めてではないのに、寒がり方だけは一丁前である。
「つか絶対寒い!アッシュは何でそんなにむっつりしてんだよ?」
「おいレプリカ!誰がむっつりだ!」
「寒すぎて凍えるっつーの!!」
人の話を聞いていないのか、ルークはやむ事なく積もる雪を見ながらうんざりしている。
寒さで頭が回らないのだろう。
…アッシュも寒さで口を開く事に鬱陶しさを感じているのだが。
寒い寒い…と小声で呟くルークをじっと睨んだ後、今日はもう潮時か、
と勝手に決めたアッシュは彼に帰るよう告げる。
「…そんなに嫌なら、ホテルへ帰れ。俺は構わん」
そう返した刹那、ルークの表情が一変する。
「……やだ。俺アッシュといたい。」
「…………。」
頑なに拒むその姿を見てアッシュは苛立ちと、そして喜びを感じていた。
言う事を聞かない所はむかつくが、自分と一緒にいたいと言ってくれた事は…嬉しい。
あんなに屑呼ばわりしていたら避けられるのが普通だと思っていたのだが、
こいつは少し世間とずれているようだ。
…それとも本当に犬のようにくっついてくるタイプなのだろうか。
「あ、あれ犬だ!」
自分の心が読まれたのかと一瞬だけドキ、としたが
ルークの視線の先を見て本物の犬がいたと分かるとすぐさまいつもの表情に顔を戻した。
ルークが見つけたのは…
「ヨコーテ…」
そこには小さい頃バチカルで見かけた大きな犬がいた。
あの時の犬はもっと大きかったような気がするが、間違いなくヨコーテである。
灰褐色の毛を持ったオオカミに似た懐かしい動物がそこにいるのだった。
「?知ってるのか、アッシュ?」
「あぁ…」
こいつに自分とナタリアの話を聞かせようかどうか、一瞬だけ迷った。
だがすぐさまルークには不必要な話だと決めつけ、
突っ込まれる前に先にヨコーテの方に近づいた。
ヨコーテは初めて見るアッシュに怯える事なく、尻尾をふりふりと回した。
「すげぇな!人間に懐いてる!」
ヨコーテに近づいた後、人懐っこい犬が瞳をきらきらさせていたので
ルークは臆す事なく、ヨコーテの頭をそっと撫でる。
俺初めて犬見たのエンゲーブなんだぜ?とアッシュに話しかける。
確かにバチカルの屋敷で犬は飼っていないし、
軟禁生活を強いられてきたのならば見る機会もなかっただろう。
何故かたまに猫が紛れ込む事はアッシュがバチカルにいた時からある事だが。
「飼い主がそう教育したんだろう。…おすわり」
アッシュの命令にヨコーテは嫌がる事なく地面に座り込んだ。
その姿を見て大げさに「おぉ!」と喜ぶルーク。まるで子供のようだ。
アッシュはヨコーテをルークに任せ、辺りを見渡した。
飼い主が近くにいるかの確認である。
だが近くには雪合戦をして楽しんでいる子供と、
ロニール雪山への入り口を守っている兵士、
そしてかまくらしか見当たらなかった。
犬の散歩をしているような雰囲気の人影が見当たらず、アッシュは困惑する。
(いったいこの犬はどこから…)
こんな大きな犬を放置する飼い主の神経がよく分からない。
ここケテルブルク公園には数多くの人がいて、ヨコーテより小さい子供だっている。
そういった子供達の事を考えると、放し飼いは危険なはずだ。
幸い頭の良さそうな犬だから危害を加えるような真似はしていないが…
ならばきっとすぐ傍に飼い主がいるに違いない。
不審を抱きながら、再びヨコーテに視線を戻そうとした刹那―
「よし、競走だアッシュ!!」
「は?」
聴きなれない単語を耳にし、ヨコーテから視線をルークに切り替えると、
そこにはひざを屈伸させたルークの姿があった。明らかに準備体操のようである。
「っしょ」とルークの声が聞こえた。
事態が読み込めず、レプリカをじっと見つめていると服の裾を引っ張られる感触がした。
見下ろしてみるとヨコーテが「ワン!」と嬉しそうに吠えている。
その瞳は期待に満ちた表情だ。どうやら遊んで欲しいらしい。
「お前も頑張って走れよ、犬!」
ヨコーテに向かって頷いたルークを見て「まさか」と目を見張る。
「走る」という単語、準備体操をし始めたルーク、そして遊んでもらえると嬉しそうに喜ぶ犬。
この3つから考えられる事は一つしかない。…嘘であって欲しいが。
「おいレプリカ。…まさかとは思うが競走するわけじゃないだろうな?」
動揺していてもあくまでも冷静につとめながら、アッシュは問いただした。
アッシュの言葉に「聞いてなかったのかよー」と口を尖らせた後、
レプリカはヨコーテの首筋を撫でながらアッシュに説明する。
「犬って足速いんだろ?俺犬が走ってる姿見た事ないからさ、ちょっと見てみたいんだ!」
「それで何故俺も参加する事になる?」
「え、だって二人で遊んでちゃアッシュが寂しいだろ」
「さ、寂しいわけないだろ、屑が!」
アッシュの突っ込みが炸裂する。
あまりにも大げさに否定するのでルークは一瞬目を丸くしたが、
すぐさまいつもの卑屈モードに突入する。「ご、ごめん」と気まずそうにアッシュに謝った。
「そ、そうだよな…俺と遊ぼうが遊ぶまいが寂しくなるわけないもんな…」
「………」
しまった、こいつはこういう性格だった。
長髪時の俺様が偉いんだ!なレプリカもムカつくが、この卑屈っぷりにも吐き気がする。
もっと貴族らしく毅然とした態度で接してくれないものだろうか。
…お前は俺なのに。
辺りに微妙な空気が流れ、よく分かっていないヨコーテは「くぅーん?」と首を傾げた。
二人の赤い髪の男を交互に見て反応を確かめているようだ。
「………ふぅ」
アッシュがため息をつくと、レプリカの肩がびく、と反応した。
怯えているらしい。おそるおそる視線を合わせるが、眉が下がって困った顔をしている。
自分も困ったらこんな顔するのか、と思うとものすごく嫌になる。
俺はこんな顔絶対にしない。
「…やるぞ、レプリカ。」
「へ?」
意外だったのか、ルークの目がまんまるに見開く。
そんなルークを見て、恥ずかしさの余り「ちっ」と軽く舌打ちすると、
アッシュはヨコーテの方を向きながらぶっきらぼうにつぶやいた。
「仕方が無いから付き合ってやるって言ったんだ。…この犬も遊んで欲しがっているみたいだしな」
アッシュの声に合わせてヨコーテが「ワン!」と吠える。
遊んでもらえると分かったらしい。
自分の言葉に返事を返す犬を見て、アッシュはやはりこの犬は頭がいいと関心した。
こんな広場で犬とレプリカと競争なんて正直恥ずかしい。
大げさだがやるぐらいなら舌噛んで死んだ方がマシだとさえ思った。
だが、こんな小さなことでこいつと気まずくなるのは避けたい。
これからもルークには働いてもらわなければ。
…そう、あくまでも利用するためだ。アッシュは自分にそう言い聞かせた。
そんなアッシュの葛藤など露知らず、ルークはアッシュの言葉に頬を緩ませた。
いつものだらしない顔がますます間抜けに見える。
改めて自分とレプリカの違いを感じた。
「よーし、それじゃあそこがスタートな!」
スタート地点まで歩いてゆくレプリカを追いながら、アッシュは辺りを見渡した。
ここで急に飼い主が登場しないだろうか…と都合の良い事を考える。
そういえば今ルークがここにいるという事はナタリアやガイもケテルブルクにいるという事である。
もしレプリカと仲良くしている現場を二人に見られたら…。
羞恥心が彼を襲った。…やっぱりやめようか。
「アッシュー、やるぞー」
「………分かった」
ここまできたらやるしかあるまい。アッシュは覚悟を決めてスタート地点へ立った。
どうかナタリア達が見ていませんように。そう願いながらスタートダッシュを決めた。
「はー……はっ……っあー……」
「……っは、……く、屑がっ……」
「ワォーン!!」
約5分後、疲れ果てて横になっている二人と、まだまだ元気なヨコーテの姿がそこにはあった。
「く、クソッ……何で俺が、こんな奴にっ……」
アッシュは悔しさのあまり、思わず拳を地面に叩きつける。
辺り一面は雪なので、もちろん痛みは感じなかった。
犬より速く走れるとは思っていなかったが、あのルーク相手に互角なのが許せなかった。
同じタイミングでゴールする結果になるなんて、
ますます自分とルークがオリジナルとレプリカなのを感じてしまうのだった。
「はぁーっ………つかれたー……」
そう言いながら楽しそうに笑うレプリカを横目にアッシュは荒く息を繰り返す。
まったくどいつもこいつも、何で楽しそうな顔をしてるんだ。
ヨコーテとレプリカが同じような満足気な表情をしているのが可笑しくなり、アッシュは思わず口の端が緩む。
ルーク・フォン・ファブレ。
俺の昔の名前。
やっぱりレプリカルークは犬に似ている。
後書き(白文字)
そういうアッシュさんは猫だと思いますよ。懐かない猫。
さすがはリバ派の根暗マンサー殿、
アシュルクに見えない小説でいらっしゃる。(アッシュ風)
ルークのアッシュへの懐きっぷりが可愛いです。
もう思いっきり抱きしめてしまえばいいよ!!