穏やかに、緩やかに時は過ぎていった。
静かに流れゆく時間。何も変わらない毎日。ただ孤児院で過ごしてくだけの日々。
辛い事を忘れていくには相応しい環境だったのかもしれない。
そういえば彼是あれから12年経ってたな、とルーティは歩きながらふと思う。
今彼女が向かっているのはクレスタの近くにある見晴らしの良い丘。
手には水が汲んである桶と、お供えしようと思って持ってきた花。
子供達をデュナミス孤児院に泊り込んでいたロニ達に任せ、
彼女は爽やかな風を肌に感じ、嬉しそうに微笑みながら丘へと進んでいく。





そういえば久しぶりにクレスタを出たなぁ、と気が付く。
子供達の世話で忙しかった所為か、丘の上にあるものの管理を
クレスタで仲の良い近所の人達に任せっきりだった気がする。
……彼是何年ぶりに来ただろうか。
カイルに悟られないためにあまり行かなように決めていたのだ。
不審な行動をしたらきっと「何処へ行くの、母さん?」と聞かれるに決まっている。
息子に嘘をついてる以上、定期的にここへ来る事は許されなかった。






…それともう一つ理由がある。
きっとここへ来てしまったら母親である自分を捨てて一人の少女だったあの頃に戻ってしまうからだ。
皆の母親という立場を忘れて、大泣きしてしまいそうだったからあまり来たくなかった。
そう思うと少し足取りが重くなる。
目的地の丘を目の前にして、戸惑ってしまう。
「…………」
柔らかな風を感じながら、ルーティは目を閉じながら歩く。
今でも思い出すと、辛くなる。
あの時―目の前で刺されて大量の血を流して逝ったスタン。
目の前の惨劇に号泣して、記憶が抜け落ちるほど心に傷を負ったカイル。
自分の所為でスタンが死んだと思い込み、罪を背負ってきたロニ。
…あの頃の事を思い出すと今でも酷く胸が痛む。
なくしてしまった喪失感。…父―ヒューゴと弟―エミリオが死んだ時も感じた事のあるもの。
そんな思いがルーティの心を占める。






…どうして自分の周りの人はすぐにいなくなっちゃうんだろう。
生まれた頃から一緒にいたアトワイトは神の眼に突き刺し、粉々に壊れてしまった。
……大切な人とずっと傍にいたいと思うのは我が侭なのだろうか。
それとも自分にはそんな事思う資格なんてないのだろうか。
そんな事を思いながらルーティはふっと目を開く。
そうして目に映ったのは小さな墓。
……いつの間にか目的地に着いていたのか、と思うと自然と苦笑まじりの笑みが零れた。
もしかしたら会いたかったのかもしれない。
ずっと会っていない間空に向かって彼と話をしていたけれど、
それでも…やはり寂しかったのだと思う。
ルーティは勇気を出してその墓へ歩み寄る。
あいつの骨を埋める時に、一度見たっきりのその墓は昔見た時とさほど変わっていなかった。
きっと管理してくれた人たちが綺麗にしてくれていたのだろう。
墓は年期が入ってるとは思えないぐらい太陽の光に照らされ綺麗だった。
「………スタン、久しぶり」
第一声は、なにげない挨拶だった。






青い空が、広がっていた。
薄雲が多少かかっているだけのその青空と輝く太陽に目を細めながら
ルーティは1人、墓に話し掛けていた。
「でさぁ、ロニってば可愛い彼女連れてんのよ!あたしが『可愛い彼女ねぇ』なんて言ったら
あいつってば照れちゃって『こんな可愛くない奴彼女じゃないですよ!!』って返したのよ〜。
そしたらナナリーって子が怒っちゃってロニに関節技決めたりして…素直じゃないわねぇ」
やれやれ、と肩を竦めながらルーティは口元に笑みを浮かべる。
その表情は晴れやかでさきほど不安がっていた様子が嘘だったかのようだった。
そうしてしばらくしてからルーティは墓に水をかけ、その後花をそっと添えた。
白い花を墓に添えて、ルーティは一息つく。
そうしてしばらくして……彼女はさきほどとは様子を一変して深いため息を吐いた。
「……ねぇ、カイルが……大切な人をこの手で失っちゃうんだって」
暖かな風が吹いた。
風で近くに咲いていたタンポポの綿毛が飛んでいく。
空を飛ぶかのように舞うそれを見ながら、ルーティは重々しく口を開く。
「あの子の彼女…リアラ、だっけ。その子を殺さなきゃ世界は救われないんだって。
……不思議よねスタン。まるであたし達とアトワイト達みたい」
墓をじっと見据えながら、ルーティは感傷深くそう呟く。






思えば、あれは辛い選択だった。
世界を選ぶか―
それとも仲間を選ぶか―
…どんなに辛くても、嫌でも…世界を救うためには前者しかなくて。
だからルーティやスタンは…世界を選んだ。
仲間を見捨てて、世界を救った。
そういえば最後まで嫌だと首を横に振っていたのはスタンだったとルーティは思い出す。
ディムロスと別れたくないと―仲間を見捨てたくないと、彼は言った。
でも世界を救うために旅をしてきたのに…
自分の欲だけで世界を滅ぼす事を犠牲になった仲間達は認めなかった。






『私欲のために世界を滅ぼすなんて、ミクトランと同じだ』

そう、誰かが言っていた。







『やるべき事をやりなさい。…それがあなた達の役目よ』

これも誰かが言っていた気がする。







やるべき事―世界を救う事。
でもこんな形で世界を救ってどうしろというのだろう。
…犠牲になった仲間達はもういない。
願っても現れないし、どんなに叫んでも―もういない。







アトワイト達の事を思い出して―ふと別の事を思い出した。
「あんただっけ…『俺は英雄なんかじゃない』って言ってたの。」
あれは確か…英雄歓迎祭の帰りだっただろうか。
ハイデルベルグの兵士達に英雄扱いされてちやほやされた後スタンは1人、
酒場に入り、飲んで酔ったのかぼそぼそと独り言のように愚痴っていた気がする。
…それを発見したルーティは酒臭さに顔をしかめていたが
何よりもスタンの今にでも泣きそうな表情が気になっていた。
…だから話を聞いてあげたのだ。そしてその時彼はこう言った。







『俺は…仲間を使って世界を救っただけの臆病ものだよ。

だって……大切な人1人守れないじゃないか……。

ディムロス達だって、ヒューゴだって、イレーヌさんだって…リオンだって…

俺は誰一人、守れなかったんだ……』








「…そういえば、めそめそ泣いててウザかったからあんたを殴ったわね、あたし」
思い出し1人ふ、と笑う。
ルーティなりの渇の入れ方だったのだが…スタンには逆効果だっただろうか。
本人に聞いてみたことが無いので真相は闇の中だが…どうだったのだろうか。
…まぁ嫌いになったんなら結婚してないか、と前向きに考える事にした。







そんな事を思った後、ルーティは墓をそっと撫で墓に向かって微笑みながら、呟く。
「……あの子があたし達のような選択をするのか…それともリアラを取るのか…分からないけど
…でもあの子はあたしの大切な息子だし、助けてやりたいって思うから…
あたしはあの子を見守るわ。…たとえどんな選択をしようとも、信じて見守ってる。」
それが母の務めだと、ルーティは思う。
今のカイルに口出しなんて出来ない。…だってあの子の事はあの子が決めなきゃ。
そうルーティは思うから、見守る事にした。
たとえ世界が滅ぼうとも、カイルがそう決めたのなら彼を信じる。
父や母達のような道を歩もうが歩まなかろうがそれはカイルの勝手だ。
たとえ世界が明日終わろうとしても、それがカイルの決めた道なら信じる。
信じて、ルーティは待つ。美味しいご飯を作りながら待ってるから。
「…あたしはあんたにも信じて待てなんて言わないけど…でもあいつの決めた事だから…
信じて欲しい。……あたし達の息子の行き先を、何も言わずに見守っていて欲しい。」
スタンの出しそうな答えなんてルーティにも見当がついていた。
きっと彼も…言うのだろう。
自分の息子を抱きしめながら、言うのだろう。
「……あの子を守ってやってね、スタン……」
嗚咽を漏らしながら、ルーティは墓を強く抱きしめる。
抱きしめたって暖かい温もりなんて感じるはずないのに。
寂しい時抱きしめてくれた温もりなんてないのに。
それでもルーティはスタンに縋った。
生身の体をもたないスタンに、縋った。
本当はずっと泣きたかったのかもしれない。
…スタンが死んでから1人ルーティは孤独と戦ってきた。
自分には子供達がいるから寂しくないって、そう思って生きてきた。
だけどそれでもやっぱり辛くなる時があって…自分1人でこの子達を守れるのかって不安になって。
それでも涙を堪えて今日まで生きてきた。
だけど本当は…スタンと一緒に生きたかった。
一緒に助け合って、笑いあいながら子供達に囲まれて生活したかった。
…その願いはもう叶う事なんてないけれど。
それでも、時々夢に見る事があるのだ。

『もしも、スタンが生きていたら』と。

「……っはは……馬鹿よね………あたし」
泣きながら墓を抱きしめている自分が馬鹿らしくて。
そんな夢を見る自分が馬鹿らしくて。
それでも馬鹿でもいいから、見たかった。
…スタンと一緒に孤児院にいる自分を。
カイルやロニ達と笑い合いながら、暮らしていく生活を。
情けない自分に笑いながら、ルーティはしばらく涙を流していた。
白い花びらには水滴がぽつぽつと滴った。








「…あーあ。柄にも泣く泣いちゃったわね。久しぶりかも」
水が入っていた桶を手に取りながらルーティは自笑しながらそう呟く。
…思えばスタンが死んでから―泣いていなかったような気がする。
自分は孤児院にいる子の母親だし、弱音なんて吐けない―そう思っていたから。
泣くに泣けなかった。
「…ただ強がってただけなのかもしれないわね。」
だけどそんな自分は…ただ強がっているだけの情けない奴だったのかもしれない。
そんな事を思いながら呟くとふと「あ」と思い出したかのように言葉を追加した。
「そうは言ってもあたしはそんなにヤワな女じゃないわよ。頑丈に出来てるから」
フフン、と鼻で笑うとルーティはゆっくりと立ち上がった。
「それじゃああたし帰るから。また何かあったら来るわ。じゃあね」
久々に会った挨拶同様あっさりとした別れの挨拶言って、ルーティはその場から去ろうとした。
そうして丘を駆けようとするとふと後ろから何かの気配を感じる。
ルーティは気になって振り返ってみた。
…しかしそこには何もいなかった。
だがルーティは何かを悟ったのか嬉しそうに微笑んだ。
「…………心配性ねぇ、あいつも」
ルーティは誰もいない丘にそう呟いた。
墓しかないその丘に向かって、手を振る。
…もちろん返事も姿も無かったのだが、ルーティは満足そうにその場から去っていった。







穏やかな風が吹いた。
白い花が揺れていた。
花びらに滴った水滴はすでに乾き、その場にはただの静寂な空間のみが広がっていた…。






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