水の匂いがふわりと鼻をくすぐったと思うと、勢いをつけて上へあがった。
いつ来ても思うのだがこの海水の城壁は凄いと思う。
譜術が盛んなマルクトならではの技術だ。
キムラスカ王国の音機関も初めて見た時は
自分の周りにこんなものがあったなんてと思ったが
−そう言ったらガイが喜んで説明しそうなのであいつには言わない。
ルークは一人、グランコクマの公園広場に来ていた。
仲間達は宿屋で各自各々の行動を取っていることだろう。
ジェイドは住み慣れた街だから遊びに行っているかもしれないが。
遠くに住民区が見える。あそこへ行ったことはないが、
きっと沢山の人がそれぞれの人生を歩んでいる事だろう。
そんな彼等の命を救うことが出来て本当に良かった、とルークは思う。
アクゼリュスの人たちのような犠牲はもうごめんだ。
せめて今生きている人たちを救ってあげたい…
その気持ちばかり前に出て、ちょっと空回りした時期もあったけど。
第7音素の乖離によって、もうすぐ消える事になる自分の体を見つめて、一人黄昏る。
レムの塔に行く前に、自分は瘴気を消すために生まれてきたんだと思ったことがあった。
でも死ぬ直前になって自分のために生きていたいと思った。
だから今は…消える事が分かった今は自分のために生きたい。
当たり前の風景、当たり前の日常でも大切にしていきたい、そう思うからきっとここで、
グランコクマの風景を心に焼き付けるように眺めているんだろう。
ルークは自分の気持ちをそう整理した。
髪が風に合わせて流れる。不思議と寒くはなかった。
ガイやティアが見たら「風邪を引いたらどうするんだ」と怒られてしまうほど軽装だが。
旅に出た頃はそういったおせっかいをうざいと思っていたが、今は心配される事が嬉しい。
…本当は心配させないようなしっかりとした人にならなければいけないんだろうけど。
どれくらい時が過ぎただろう。ふと誰かの気配を感じた。
時間も深夜を回り、こんな場所に来る人物なんて
近くの酒場からやってきた酔っ払いだろう、と振り返りもせずに思う。
皆が心配するし、もうそろそろ帰ろうか−そう思っていた矢先に。
「…レプリカ、か?」
聞きなれた自分と似た声を聞き、ルークは勢いよく後ろを振り返った。
するとそこには自分と同じ姿をした、
オリジナルルークであるアッシュが橋の方から歩いてきていた。
「…アッシュ」
ついこの間会ったばかりだというのに、ルークは彼に会いたくて仕方がなかった。
消える前に色々話をしたいと思っていたのだ。
彼の事、バチカルにいる父上や母上の事…色々と。
その前にルークは疑問を彼にぶつける。
「どうしてアッシュがここに…?何かあったのか?」
するとアッシュは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐ冷静に呟いた。
「……別に。漆黒の翼どもがここへ来たがっていただけだ。お前に会うためじゃない」
「…そうなんだ」
その言葉にちょっとだけ傷ついた自分を心の中で叱咤した。
アッシュは自分の事が大嫌いなのに、ルークに会うために来るわけがないじゃないか。
そうまとめた所で、悲しい気持ちはどうしても抑えきれなかった。
するとルークはふと、アッシュが気にかけているであろう、彼女の事を思い出す。
「あ……もしかしてナタリアの様子が気になったから見に来たのか?」
「!か、勝手な事を言うな、屑が!」
ナタリア、という単語に反応し、
冷静につとめていたアッシュが急に顔を赤らめながら怒鳴る。
分かりやすいアッシュの反応にちょっとだけ微笑ましい、
と思いながらもルークはナタリアに対する羨ましさを感じていた。
ナタリアは自分と違ってアッシュに愛されている。
二人の絆は旅の途中、いつだって感じていた。
アッシュの居場所を奪った俺はきっと彼にとって不愉快極まりない存在なのだろう。
…だから自分と違ってアッシュに好かれているナタリアを羨ましいと思うのだろうか。
気づくとアッシュは近くのベンチに腰掛けていた。
あからさまに不愉快だと言わんばかりに顔を歪ませている。
これ以上ナタリアの話をするのやめよう―
きっと怒られると思いながらルークも同じベンチに腰掛けた。
「…………」
「…………」
いざ二人っきりになってみると、何を話していいのか分からない。
共通の話題―ガイ、ナタリア、ヴァン師匠―の話をしたら不愉快に思われそうだし、
突然「最近どうよ?」なんていうのも突拍子がなさすぎで呆れられるんじゃないかと思う。
次に向かうラジエイトゲートの話をそれとなくしてみようか
―刹那、黙っていたアッシュが急に口を開く。
「次はラジエイトゲートか」
「…うん、そうだよ」
先に言われてしまった。
ルークはいつも思うのだがどうして自分とアッシュは業務的な事しか話さないのだろう。
ガイやアニスと喋る時のように、
くだらない話を交えながら会話したりする事は出来ないのだろうか。
…なんて言ったら馴れ合うつもりはない、と言われそうだが。
「それが終わったらエルドランドか…防御壁もそうだが、対空砲火も危険だ。
…絶対に気を抜くなよ。」
「うん、分かった…」
あぁ、やっぱり話しかける勇気が持てない。
こんなに会いたくて、話したくて、近づきたいと思っているのに
どうして一歩を踏み出す勇気を出せないのか。
もうすぐで自分の存在が消えるなら、後悔しないようにすればいいのに…
そんなもどかしさに息苦しくなる。
アッシュは何を思っているのだろうか。
自分と一緒にいてつまらなそうな表情をしているだろうか…
そんな事を思いながらちらりと彼の横顔を覗き見る。
そうしたらアッシュと目があった。先にアッシュの方がルークを見ていたようだ。
「な、何だレプリカ!?…人の顔をじっと見るな!」
「え?……ご、ごめん」
アッシュが何故焦っているのか分からず、首をかしげる。
むしろ人の顔をじっと見つめていたのはアッシュの方ではないだろうか。
アッシュは軽く咳払いをすると、すっと立ち上がった。
これ以上話す事はないと思ったのだろう。
「あ、ちょ、アッシュ……!!」
ルークは思わず彼の服を掴んでいた。ちょっと前のめりに揺れたが、
すぐさま姿勢を直しアッシュは不快そうにルークの顔を見る。
その視線に射抜かれてルークは極度の不安感と、
話しかける事が出来たという高揚感で胸がいっぱいになったが、
引き止めておいて何も言わないのは変だ、と思い頭の中を回転させる。
「こ、この間はありがとう!」
「……何の話だ?」
「レムの塔で、俺を救ってくれたから……」
レムの塔での一件でルークはアッシュに迷惑をかけてしまった。
本当は自分が消えてしまうはずだった
―けどアッシュが手伝ってくれたからこそ、少しでも長く生きている事が出来た。
その事に感謝の言葉をと思ったのだが。
「お前がぐずぐずしているから手を貸してやっただけだ。
…結果的にローレライの宝珠を見つける事が出来た、感謝される必要はない」
やはり冷たい言葉をかけられたがそう言うだろうと想定していたので、
ルークは首を振って彼の言葉を否定した。
「でも、アッシュがいなかったら俺死んでいたから…。だからお礼がしたかったんだ!」
「……そうか」
そう呟くアッシュの顔はなんともいえない表情をしているように映った。
ルークはその表情が、ひどく寂しいものに思えた。
アッシュがこのまま消えてしまうんじゃないか―そんな不安が脳裏をよぎる。
消えるのは俺のはずなのに、アッシュはこれからも生き続けて、
俺の分まで幸せになって欲しいのに…何故だか、アッシュの表情は晴れなかった。
やめて欲しい―そんな顔をするのは。俺はアッシュの笑った顔が見たいんだ。
ルークという居場所を奪った俺が出来る事は、アッシュを幸せにしてあげることなんだ。
ルークは勇気を出して自分の気持ちを伝えようと口を開く。
先ほどの戸惑いや勇気のなさはどこかへ飛んでいった。
こんな表情をしているアッシュを前にそんな悩みは邪魔だと思ったから。
「だ、だから俺…お前が呆れないように、
レプリカだからっていじけたりしないでちゃんとルークとして生きるから!
俺には時間が残されているはずだから…だから俺…アッシュと……一緒に…」
最後の方は擦れて聞こえなかったと思う。
ルークも勢いで言った自分の言葉にちょっとだけ驚いていた。
自分には時間がない―だけどそれをアッシュに言うのは怖かったから、
嘘をついてしまった。乖離現象によって死ぬ前に、せめてアッシュと一緒にいたい、
アッシュと一緒にヴァン師匠と戦いたいと思う自分の気持ちを素直に伝えた
―それだけだった。
アッシュは黙ったままだった。彼なりに考えをまとめているのだろうか、
それとも呆れられてしまったのだろうか…。そんな不安が胸をしめつける。
嫌われてしまったどうしよう―ルークは目をぎゅっと閉じる。
アッシュの顔を直視する事が出来ない。
水の匂いと、自分に似た匂いが風にまじって鼻をくすぐる。
心臓の音が激しくなるたびに体も熱を帯びる。
ルークの中には少しだけの期待と、大きな不安があった。
水の音がする。勢いをつけて空へあがっていく。刹那
「 」
「…………え?」
水の音が邪魔で聞き取れなかった。
目をぱっちりと開けたルークは自分に背中を向けるアッシュの姿を見た。
アッシュは何事もなかったかのように、ゆっくりと広場から立ち去ろうと歩く。
「ま、待てよアッシュ!!今なんて…」
しばし呆然と眺めていたルークは、立ち去るアッシュを見て焦りながら呼び止める。
だがアッシュは聞こえないはずはないのに、振り返りもせずに歩みを進める。
ルークは頭から血の気が抜ける。
興奮して熱くなっていた身体も急に冷えたように、風を肌寒いと感じる。
体が重い。思わずその場に膝をつき、ただ愕然とアッシュの後姿を見送ったのだった。
暗闇に消えゆくアッシュの姿はすぐ見えなくなった。
「…お帰りなさい」
「おかえりなさいですの」
宿屋に戻ったら、ティアとミュウがエントランスホールで紅茶を飲んでいた。
テーブルの上には誰も手をつけていないカップとスプーンと受け皿があった。
おそらくルークが帰ってきた時に淹れるつもりで用意してあったのだろう。
こんな夜遅くまで自分を待っていてくれていた事に、感謝したいと思った。
「………二人は眠くないのか?」
こんなに待たせて悪いと思いつつ、ティアの体を気遣ったルークがそう呟く。
「大丈夫よ。3時間ぐらい睡眠がとれれば次の日も動けるもの。
士官学校時代にそういう訓練もしてきたから」
「ミュウはねむねむですの〜」
「はは、ごめんな」
周囲の空気を気にせずにマイペースに呟くミュウを見て、思わずルークは微笑む。
今この場にミュウがいてくれて良かった。
ミュウの明るい姿を見ているとさきほどの落ち込みが嘘のようだ。
ティアに淹れて貰った紅茶は美味しかった。身体の芯まで温まるようだった。
ミュウをぎゅっと抱きしめて、体温を奪いながら身体を温めていると
ティアがゆっくりと、優しい口調で語りかける。
「……明日はラジエイトゲートだけれど、行ける?」
ラジエイトゲート、という単語を聞き、さきほど別れたアッシュの姿を思い出したが、
すぐさま気持ちを切り替えてこくりと頷く。
「…うん、大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
そう笑みを返すと、ティアは「そう」と返してくれた。
ティアは何も聞かない。ルークが何故広場に行ったのか、広場で何があったのか
―おっかなくて厳しいけど、時々優しいティア。その彼女の優しさが胸にしみる。
気がつくとミュウが寝ていたので、ルークはティアと別れて部屋へ戻る事にした。
ベッドにミュウを横にさせた後、ルークは一人、窓の外の月を眺めて思う。
あの時アッシュは何を言ったのだろう。
その前にとても悲しそうな顔をしていた事を思い出す。
あの時、アッシュを抱きしめていたら
彼は自分の前から立ち去る事はなかったのだろうか。
話の途中で立ち去ったアッシュに怒ることすら忘れたルークはベッドに入る。
次に会う時はどんな顔をすればいいのだろう。
何故あんな表情をしたのか、聞き出すべきなのだろうか。
こういう時、時間のない自分が悔やまれる。
もっとアッシュと会いたい。もっとアッシュと話したい。もっとアッシュを感じていたい。
そんな事を思いながら、眠りについた。
後書き ついに書いちゃいましたよ。(そうだな)
というわけでアシュルクともいえず、ルクアシュともいえない小説の完成です。
これのアッシュ視点版もそのうち書けたらイイナ!(マイメロ風)
最後のティア&ミュウとの会話はいれようかどうか悩んだんですが、
アッシュと別れた所で終わったら後味悪そうだったので追加しました。
ブタザルの純粋なご主人様ラブっぷりが好きです。
もしかしたら萌えの超振動でこれからアビス小説を書いていくかも
しれませんが、そのときはよろしくお願いいたします…(笑)
タイトルはバックの写真素材のタイトルをそのまま頂きました。
|
|