peevish
「ただいまっス…」
アッシュは久々にユーリの城へと戻ると妙に静寂した空間に首をかしげる。
ここからユーリの仕事部屋はわりと近いので歌声、
もしくはギターの音など聞こえるはずなのだが。
(………もうスランプ脱出したんッスかね…?)
アッシュが全国ツアーに行く前、ユーリは「スランプだ…」と悩みながら
新曲の作成のため仕事部屋に篭っていたのだが。
音が聞こえない辺りもう終えたのだろう。
という事はユーリは私室か居間にいるという事だ。
(行ってみるッスかね……)
帰ってきた事を報告するためにアッシュは誰かいそうな居間へと向かったのだった。
アッシュが居間へと向かっているとふと階段の下から声が聞こえた。
その声はどうやら何か困っているらしく「どうしようか…?」という呟きすら聞こえる。
(地下の部屋はユーリの私室しかないッスよね…?)
心の中で自分自身に確認をとりながらアッシュは階段をゆっくりと降りる。
そうして降りていく間、声の主は一体誰だろうかと考えてみる事にした。
ユーリの私室だからユーリかと思ったが声のニュアンスが少し違うような気がする。
で、ユーリの部屋に入っているという事はユーリと親しいものであろう。
それでなければユーリの周りにいるコウモリが適当に追い払ってるだろうから。
なので城の在り処を知って押しかけてきたファンではないという事だ。
そうやって絞込みをしているうちにとある人物が思い浮かんだが、
部屋からまた困ったような声が聞こえ疑惑は確信へと変わる。
「ユーリ〜……出てこ〜い……ヒッヒッヒ」
部屋の中から独特的な笑い声が聞こえてきた。…間違いない。
同じDeuilのメンバーであるスマイルがさきほどから聞こえてきた困ってた声の主だろう。
一体ユーリの私室で何を困っているのだろうか…と思いながらドアノブを掴む。
「…スマイル?」
キィ…と扉を開け、部屋の中を見ると…
「『ユーリ、アッシュッス。今帰ってきましたよ!』」
「………?」
覗き込むとスマイルはユーリが使っている棺を開けようとしていた。
上に持ち上げようと必死に力を込めているのはいいがどうやら開かないようだ。
『………似てないぞ、スマイル』
棺の中からユーリの声が聞こえてくる。
どうやらユーリは棺の中にいるようだ。
確かこの棺はユーリの意思でしか開かないと聞いた事があるような気がするのだが…
いまいちこの情景を理解できないアッシュはただ黙って彼等の会話を見つめるしかなかった。
スマイルは棺を触っていた手を離すと「ちぇ」と呟いた。
「ヒッヒッヒ…バレちゃしょうがないな〜…でも出てきてよユーリ、
じゃないとぼくギャンブラーZ見逃しちゃうからさぁ…。」
そう言った後スマイルは棺をガンガンと叩きだした。
音はとてつもなく大きく、中にいるユーリにはいい迷惑ではないだろうか。
などと思っていると棺の中から不機嫌そうな声が聞こえた。
『私の事など放っておけばいいだろう…?ギャンブラーでも何でも見てくると良い』
そんなユーリの声を聞いた後、アッシュは何となくだがこの情景を理解した。
おそらくユーリはここ数日棺から出てこないのだろう。
で、心配して来てはみたものの肝心のユーリが出たがらない、と。
しかし何故出たがらないのだろうか…と思いスマイルに話を聞こうと部屋の中へと入る。
「スマイル…どうかしたッスか…?」
おそるおそる声を掛けるとスマイルが首だけくるりとアッシュの方へ向けた。
そうして「あー」と気の抜けた叫びをしたと思うと
スマイルはすぐさま立ち上がってアッシュの傍へと歩み寄った。
「ナイスタイミングアッシュ〜。じゃ」
アッシュの掌に手を合わせてパン、と良い音がしたと思うと
スマイルはすぐさまダッシュで階段を駆け抜けた。
彼は「ギャンブラ〜ギャンブラ〜」と声を上げながらダッシュで駆け抜ける。
ユーリとの会話から察するにどうやらギャンブラーZのアニメが始まるらしい。
「………」
1人取り残されたアッシュはしばらく呆気にとられていたが
やがて現状を理解すると深いため息を吐いた。
(………ど、どうしたら良いッスか…?)
ユーリが棺に篭っている理由すらしらない自分がどうやって説得しろと…
アッシュはそう思ったが誠意をこめて頼むしかないだろう、そう思い棺へと近付く。
「ユーリ……帰ってきましたよ…」
アッシュは穏やかにユーリに向かって言葉をかける。
だが棺の中から返事が聞こえず、不思議そうに首をかしげていると…
『………本物、か?』
しばらく経ってから、ユーリの声が聞こえてきた。
「はい、アッシュッスよ。…一体何があったんスか?
…ずっと棺に篭ってるみたいッスけど…」
スマイルから聞けなかった事を聞こうと思い、アッシュが問い掛けると。
『…誰の所為で篭ってると思ってるんだ…』
棺の中から不機嫌そうに呟く声が聞こえた。
突然声が不機嫌そうに変わったのでアッシュは「え?」と首を傾げたが
ユーリが怒るような事をやった覚えはない。
というか今まで全国ツアーだったのだし、傍にいなかったのだから。
原因は分からないがとりあえず自分の所為かどうか聞いてみる事にした。
「お、俺の所為ッスか…?」
おどおどしながら問い掛けると棺からまたしても不機嫌な声が聞こえてきた。
『そうだ、お前の所為だ』
そう呟くユーリは取り付く隙間もないように思えた。
もし今ユーリの姿が見えていたなら
きっと彼は拗ねたように顔をプイと背けていただろう。
「………は、はぁ……」
とりあえず自分の所為だという事は分かったが。
(それ以外の事が分かんないんッスよね〜…。)
心当たりがないから何故ユーリが怒っているのかなど分からない。
なので何が原因かを追求しようとした、刹那。
『……お前、何で帰りが遅かったのだ……?』
棺の中から、くぐもった声がした。
「…え?」
アッシュは驚いた。
何故いきなり帰りの話になるのだろうかという事にも驚いたが、
何より先ほど不機嫌そうだった声が今はどこが寂しげに聞こえたからだ。
2つの事が頭の中でこんがらがって言葉を返せないでいると
ユーリが深いため息をついた後ボソリと呟いた。
『…全国ツアーに行く前日、私は月末に帰ってくると聞いたはずだが…』
そういえばユーリに「いつ帰ってくるのだ?」と聞かれたような気がする。
なのでツアー終了日の次の日には帰ってくると彼に言ったのだが。
「………あ、えっと…台風が来て交通の便に遅れが出たっスよ。
風は酷いわ雨は酷いわで…散々だったっス」
台風の所為で帰りが遅くなり今日は月末所かもう別月になっている。
ユーリに言った予定日より2日遅れての帰着というわけだ。
『………』
息を飲むような声が聞こえたと思うと
棺の中で寝返りをうったのか微かに音がした。
『……そうか……それは大変だったな……』
そう呟くユーリの声は諦めと同情が交じったような声で、
やはりアッシュには寂しげに聞こえた。
そうしてユーリが拗ねていた理由が何となく分かり、問い掛けてみる。
「……もしかして、俺の帰りが遅いから拗ねてたっスか……?」
『っ……拗ねてなどっ……」
棺が大きな音をたてて開いたと耳が反応するとそこにはユーリの姿があった。
「………」
アッシュは息を飲んだ。
しばらく会ってないうちにかなり痩せ細ったように見えるのは気のせいだろうか。
…おそらく気のせいではないだろう。きっと食事もろくに食べてなかったと思える。
そしてアッシュの目にやけに映ったのが目に隈が出来ていた事だった。
ユーリの白い肌だとやけにハッキリと分かる分、痛々しく見える。
「……ユーリ……」
驚愕したように自分を見るアッシュの視線に耐えられなくなったのか
ユーリは気まずそうにプイ、と背を向ける。
「………見るな、馬鹿者っ……」
怒りをこめながら呟き、再び棺を閉じようとすると…
「待ってください、ユーリ!!」
アッシュは棺に触れていたユーリの右腕を強く掴んだ。
押しのけようと力を込めて腕を振るがユーリの力ではアッシュには勝てなかった。
仕方がないので彼の顔を見ようとせず、反対方向へと顔を背けてしまう。
「………別に、私は一睡もしないでお前を待っていたわけではない…」
何と無くアッシュが言いそうな事を読み取り、ユーリは先に釘を刺しておく。
そう呟くユーリの言葉とは裏腹に彼の目元の隅は誰が見ても分かるような跡で。
アッシュは約束の日に帰れなかった事を心が破ち切れんばかりに後悔した。
「…本当に、本当に申し訳ないっス、ユーリ……!」
アッシュは謝罪し、深く頭を下げた。
今更こんな事言っても無駄かもしれないと心の隅で思いつつも
どうしてもアッシュには謝る事しか出来なかった。
ユーリをここまで追い詰めたのは自分なのだから。
大好きな人をここまでぼろぼろにしてしまったのは、自分なのだから…。
「…台風なら仕方が無いだろう…そんなに自分を責めるな、アッシュ…」
そう呟きながら、ユーリは音もなく手を移動させ、アッシュの頭を撫でる。
そしてユーリは「…それに」とボソリと言葉を付け加えた。
「私自身が寝ずにお前を待つと決めたんだ…お前に非はないだろう…」
そう呟くユーリの声は儚げで、少し疲れているように聞こえた。
その声を聞くだけで再び激しい後悔の念を強く感じ
アッシュは顔を上げユーリをじっと見上げた。
「っ……でも、オレっ…自分が許せないッス……
ユーリを追い詰めたのは俺ッスから…」
「アッシュ……」
激しく螺旋のように流れ、心を掻き乱すそれは自分への叱咤という感情。
ちゃんと予定日に着いてればユーリがこんな風になる事なんてなかったのに
という激しい後悔が今のアッシュの心を占めるすべてだった。
「……悔しいッス……俺、ユーリの事滅茶苦茶幸せにしてやりたいのに……っ!」
大好きな人には笑顔になって欲しいのに、と願っていた自分が彼を追い詰めていた。
その事が何より悔しい。
命をかけても幸せにしたいユーリを自分が不幸にしてしまった真実が。
そうやってしばらくの間自分への叱咤をしていると…
「………馬鹿者」
声がしたと思うと、ふと胸元に何か物が当たったような感触を感じた。
視線を送るとそこにはユーリの頭があった。
そして自分の背中にはユーリの細い手が回されていた。
突然の事に急に顔を赤くしたアッシュは動揺を隠し切れない様子でユーリを見つめる。
彼の顔は冷静そのものでぎゅっと背中に回した手で
アッシュの服を掴みながら囁くように呟く。
「己を責めるなと言っただろう…私はお前を恨んでなどいない…だからお前も自分を恨むな」
「で、でもユーリっ……」
アッシュが反論しようと口を開くと、ユーリにぐいっと顎を掴まれた。
一体何事かと脳が反応する直前にアッシュの唇はユーリの口によって塞がれていた。
「……!?」
「……………」
ただ唇に触れるだけのキスにも関わらずアッシュは体の芯が痺れるような感覚を憶えた。
愛しいユーリとの久しぶりの口付け。
それは彼を黙らせるには充分過ぎるほどのものだった。
「ん………、……ふ」
ユーリの吐息が漏れたのを聞くと、ユーリ自らがゆっくりと唇を離した。
ほんの短い間だったにも関わらず何故だか濃厚なものに思えて。
繋がっていた唇が離れたのが分かるとアッシュは急に顔が火照るような感覚を憶えた。
顔を真っ赤に染めているのが自分自身見なくても分かる。
さきほどの後悔で渦巻いていた心はもうなく、
今はただ目の前にいるユーリの事しか考えられない。
アッシュは何故今こんな行為をしたのかと尋ねようとした、刹那。
「アッシュ……」
妙に艶かしく聞こえる吐息が聞こえ、体が緊張で固まる。
久しく会ってない所為かユーリの声すらも昔とは違うように思える。
そんな事を思いながらユーリの口が開くのを待っていた時…
「……会いたかった……」
唇から漏れた小さな囁き声が耳に聞こえ、アッシュは思わず微笑した。
普段滅多に自分の気持ちを声にして乗せないユーリにしては珍しく、素直な反応。
たまにはこういうのもいいッスね…なんて思いながら、
アッシュはぎゅっとユーリを抱きしめた。
「俺もですよ、ユーリ……」
「…………」
安心したのか口から吐息が漏れたのが聞こえると
アッシュはそのまま強く彼を抱きしめていた。
その後は会えなかった時を埋めるかのごとく、互いの体に触れたり撫でたりして。
そんな再会の喜び方をしたその夜は、ユーリと2人っきりで棺の中で寝た。
棺の小ささの関係上アッシュは狼にならざるをえなかったのだが
ユーリに強く抱かれ、こんな風に一緒に寄り添うのも良いなぁなんて思ったりした。
そうしてふとユーリを見つめると彼は安心しきったのか寝息を立てながら眠っていた。
アッシュはユーリの顔を見ながら、心の中で決意する。
(…もう2度と、俺の所為でユーリを不幸になんかさせないッス………)
自分の所為で彼が情緒不安定になったりする姿を見るのはもう嫌だ。
だから出来るかぎり彼の傍にいて…こうして一緒により添えられたら良いな、と思う。
(…おやすみなさい、ユーリ……)
ユーリの匂いに包まれながら、アッシュはゆっくりと目を閉じた。
外は静寂に包まれていて、自然とユーリの心音のみ聞こえてくる。
トクン、トクン…と一定の音を刻む心臓を心地よく聞きながら、やがて眠りについた…。