『イカル君』

おれの名を呼ぶ優しい声。

琉宇といると何だか落ち着いて…ついついおっちゃんの家に行っちまうんだ。

琉宇の事を思い出すたびに、何か懐かしいような感覚に陥る。

……ずっと一緒にいたいと思ったんだ。

出来れば普通の人間のガキとして、あいつの近くに。

でもおれは『神無ノ鳥』なんだ。

琉宇やおっちゃんとは違う。

叶うはずもなかったんだ、こんな願い。

だからってわけじゃねーけど……おれはずっと神無ノ鳥でいたいと思うようになった。

大切な人と……ずっと一緒にいたいんだ。

あいつはさ、琉宇と違って全然優しくねーし…虐めてきたりするけど。

でもさ、それでも……おれにとっては大切な奴なんだ。

おれは、ここで……神無山で暮らす事にするよ。

あそこには大切な奴や……沢山の仲間がいるからさ。

だから、おれは………お前を………



bloody soul



キキ――――――――

車がレールを飛び越え、そのまま下へ転落する。

落ちた車はぼろぼろに壊れ、車から人が出てくる事はなかった。

車に乗っていた者は確実に死んでいるであろう。

「…………」

車を冷静に眺めていたイカルは、やがてゆっくりと空を降りる。

そして形が崩れた車を目にし、ごく……を息を飲む。

(……駄目だ、怖がっちゃ…これが仕事なんだから……)

心の中に生まれた恐怖という感情を否定しながらイカルは首を振る。

そう、『神無ノ鳥』の仕事とは魂の回収。

死に直面し、生きていた人間の魂を彼岸へと送る事が使命だ。



今まで仕事を失敗してきたイカルにとって、死と直面するのには慣れてない。

今まで散々嫌がってきた最もの理由は人が死ぬところを見たくないからだった。

(………でもおれは)

大切な友達である―琉宇の魂を回収しなければならない。

でないと自分が消えてしまうから。

消えてしまえばあいつとずっと一緒にいられないから。

あいつ―ハッカンとイカルは元々1つの神無ノ鳥―斑鳩として遥か昔に存在していた。

その斑鳩が記憶と魂が別れて別の存在になったと言われている。

そのハッカンを、イカルは好きになってしまった。

彼に近付く者に嫉妬したり、彼のおちゃらけた態度にむかついたりなど色々あったが

先日、ついに彼と結ばれた。思い出のあの場所で、彼と。

その時イカルは決意したのだ。

(おれは……ずっとハッカンと一緒にいる)

もう離れるなんて嫌だ。

触れ合った時の肌の温もりや、自分の名を優しく囁いてくれる事の嬉しさを

イカルは知ってしまったから。

彼無しでは生きられないのだ、自分は。

(………だから、おれは任務を果たす。)

ハッカンとずっと一緒にいたいから。

だから琉宇の魂を回収する。

たとえそれが琉宇の魂と永遠の別れだとしても。

(……きっと、また会えるよな)

今回だって再びめぐり合えたのだ。

琉宇としてじゃなく新しい人間としてならまた出会えるだろう。

イカルはそう思う事にした。

ではないと、心の奥底にある黒い感情に押しつぶされそうだったから。

悲しみという感情に支配されそうだったから。

(……仕事しねーと、な……)

イカルは気持ちを切り替え、固い表情で車に近付いた。

車は見るも無残になっている。窓ガラスは割れ、ドアは形が歪んでいた。

「…………」

思わず目を逸らしたくなるのを抑え、イカルは割れた窓ガラスから車の中を見た。

そこには死亡予定通りの人物―琉宇とその父親が座っていた。

だがただ座っているわけではなく、琉宇の父親はハンドルを握り締めながら俯いていた。

体からは大量の血が滲んでいる。吐血もしているからおそらくもう持たないだろう。

「…………ぁ」

そして目的の人物―琉宇の姿を見て、イカルは恐怖に歪んだ表情を浮かべる。

車の中の惨状に思わず後ずさってしまった。

琉宇を見ると青白い肌色をした体の所々に大量の赤い血が流れていた。

特に酷かったのが腹の部分。血が噴出していた。

「うっ………ぇ」

イカルは吐き気を堪え、何とか琉宇の姿を見ようとした。

だが本能がこの惨状を見るのを嫌がりどうしても直視できない。

死因が内臓破裂と聞いてはいたが、ここまで酷く強打しているとは思わなかった。

琉宇はずっと動かない。それは彼の死を意味していた。

「…………っ……く」

イカルは両手で口元を抑えながら、吐き気を堪えようとした。

だが食道に酸っぱい匂いを感じる。今朝食べたものが出そうになっているのだろう。

(………気持ち悪ぃ………)

赤い車を見つめ、イカルは目元に薄らと涙を浮かべながらそう思った。

赤い血で服を赤く染めて、琉宇は辛そうに目を閉じたまま逝ってしまったようだ。

「ぐっ………」

本格的に危ないと察し、イカルは現実から目を背けるように別の場所を向いた。

認めたくない現実が、今ここにある。



(っ………でも、やらなきゃならないんだ……)

大切な人―ハッカンと一緒に生きるためには、魂を回収するしかないのだ。

イカルはハッカンの姿を思い出し、そうして自分に言い聞かせるように頷いた。

(やらなきゃ、ならないんだっ……!)

抑えていた手を口元から離し、イカルはゆっくりと車の方へと視線を戻す。

そうして決意を固めた後、壊れたドアをゆっくりと開いた。



「ひっ……」

扉によっかかっていたのだろうか、琉宇の体がごろ…と草の上に転がる。

それに驚いたイカルが恐怖に満ちた声を上げる。

琉宇の体が草原の上で安定すると、イカルはおそるおそる彼に近付く。

見ると彼が転がって行った草原に多少血がついていた。

大量に溢れ出ていた血は、時間が経つにつれ変色してきていた。

「…………琉宇……」

生きていた頃と随分変わった琉宇を見つめながら、呟く。

だがもちろん返事など返ってくるはずがなく、ただ風が吹くだけだった。

「…………」

変わり果てた琉宇の体に触れながら、イカルは思う。

(………こんな死に方……誰が決めたんだよ……)

寿命が来た老人のように、痛みなども感じずに死んで欲しかった。

人間の命に限りがない事はイカルにだって分かる。だから色んな死に方だってある。

だがこの死に方は酷いと思った。

(もっと……別の死に方なかったのかよ………)

ぽた……と琉宇の体に雫が落ちる。

それはイカルの目から溢れた涙だった。

イカルは涙を拭う事なく、琉宇を強く抱きしめる。

彼が壊れてしまうのではないかと思うぐらい、強く。

「琉宇っ………!」

涙と共に、嗚咽がこみ上げてくる。

声を上げ泣きじゃくる自分が情けないと思いつつもどうしても込み上げてしまう。

彼の死体を潤んだ瞳で見つめながら、思う。

もっと長く生きれるはずだったんじゃないのか、と。

(……何で琉宇は死んだんだよ……)

今自分の腕の中にいる琉宇の寿命がこんなに短いものだというのか。

どうして今、彼はこの場で死んでしまったのか。

東京に行ったらもしかして今までよりもっと楽しい事もあったんじゃないだろうか。

もしこれが、運命というものだというのならば。

(………酷いよ……)

目に見えない運命というものを呪いながら、イカルの脳裏に琉宇との思い出が蘇る。

色んな出来事が、あった。

沢山の経験や、楽しかった事があった。

琉宇と一緒にいた期間ははイカルが生きてきた中で最も楽しかった出来事だらけ。

その琉宇がもう、自分に微笑んでくれないと思うと涙が溢れた。

優しい声で自分を呼んでくれないと思うと、嗚咽が止まらなかった。

「琉宇っ………琉宇……!」



どれぐらい時が経ったのだろうか。

イカルはずっと琉宇の名を呼び続け、ずっと泣きじゃくっていた。

声が枯れるぐらい、泣きじゃくっていた。

だがやがて疲れ果てて、ゆっくりと琉宇の死体を草原の上へと置いた。

「…………」

腫れぼたい目で琉宇を見つめながら、イカルは彼の腹へと手を伸ばした。

手を人の魂を回収する形に変えて、ゆっくりと彼の腹の中へ手を這わせた。

締め付けられるような感覚に陥りながらもイカルは腹を弄り魂を捜す。

そうして動かしているとやがて微かに動いているものを発見した。

それが琉宇の魂だと分かり、イカルは魂を無理矢理掴んで引っ張った。

魂が体から離れるのを嫌がるように、バサバサ…と翼をはためかせる。

だがその翼を無理矢理抑えながら、イカルは琉宇の体から魂を取り出した。

「…………」

赤い色をした鳥は今もなお、翼を強くはためかせる。

イカルはその鳥をじっと眺めた後、ぎゅっと抱きしめる。

鳥はまるで人肌のように温かい。

初めて触れる人間の魂というものを目にし、そして触れ、イカルは胸が苦しくなった。

あんなに嫌がっていた行為をしてしまった。

出来ないと思っていた事をやりのけ喜ぶべきなのだろうけど、そんな気持ちにはなれない。

辛かったのだ。彼がいなくなってしまたのが。

だが辛い思いを引き摺るわけにはいかない。イカルは魂をきつく抱きしめると小さな声で呟く。

「………また、会えるよな」

そう優しく囁きながら、イカルは赤い鳥の頭を優しく撫でた。

今度は琉宇という人間ではないけれど、同じ魂の人物とは機会があればまた出会うだろう。

斑鳩と紗のように、再び出会う事もあるだろう。

「……でも、さ」

撫でる手を止めてイカルは俯きながら、口を開こうとした。

「…………っ」

だが言葉を飲み込み、それから言葉を続ける事はなかった。

言ってはいけないと思ったから、言えなかった。

言ったらまた泣き出しそうだから、言わなかった。

イカルは再び鳥を優しく撫でると、作り笑いをして、鳥を見つめた。

そして呟く。涙声で優しく。

「………またな」



やがてイカルはゆっくりと立ち上がり鳥を抱きしめながら空へと昇った。

大切な人や仲間達が待つ、神無山へと。

立ち去った後、その場には琉宇の死体だけが残っていた。

酷く弱い心を持った神無ノ鳥の涙はすでにもう、乾ききっていた。