雪。
白く輝く雪。
空から降る雪はどうしようもなく昔を思い出させる。
そう、その雪が羽に似ているからだ。
思い出したくないのにそれはあまりにも似ていて。
昔の古傷が痛む。
この羽はいつか消えるだけなのに。
その消える事こそ自分と酷似しているのかもしれない。
きっと―
消えゆく存在
雪降る寒空の下サフィルスは1人空を見上げていた。
「…………」
サフィルスは黙って落ちてゆく雪を眺めていた。
―この雪を綺麗と思う人がいる。
気持ちを暖かくさせてくれるそうだ。
雪合戦も出来るし良いよね、とお茶を出したときそう言っていた。
(私はそんな風には思えません……)
まだ故郷を焦がれる気持ちが残っているのだろうか。
雪は故郷―天からの贈り物。
だから嫌いなのだろうか。…雪が。
「……っくしゅん」
サフィルスは小さくくしゃみをした。
よほど長時間その場に立っている所為だろうか。
体が酷く冷たくなっていたような気がした。
だが感覚が麻痺しているらしく、寒いと感じる事はなかった。
「…………ん」
頬に冷たい感触が降りてくる。
触るとそれは水滴に変わってしまった雪だった。
水滴になった雪に触れながらサフィルスは黙って何かを考えていた。
(……雪は、消えゆく存在…)
やがて春になれば溶けてしまう冬のみの空からの贈り物。
その儚さゆえに人々は美しく感じてしまうのだろうか。
(……消えゆく存在…ですか…)
まるで私のようですね。
心の中で声を出さずに呟く。
「………似ていますね。」
手の平に降りてくる粉雪に話し掛ける。
もちろん返事などないのだけれど。
でも、その脆さが自分に似ていると感じた。
「……私も消えるんですよ…?」
水滴にそう話し掛ける。
そう。
天界の使いとされるセレスと出会ってしまった事。それが始まりだった。
自分とたった1人の仲間―ジェイドはセレスという天使に利用されている。
ジェイドの気持ちはどうかは知らないが自分にはなんとなくわかる。
あれは天の見使いなんじゃない。
自分達を利用しようとしている存在だと思う。
―あくまでもサフィルスの推測だが。
『俺は信じてないぜ、あいつなんか―』
いつ頃聞いただろうか。
彼は1回そんな事を言っていた気がする。
その言葉は彼の本心であっただろうか。
もし本心であればお互い傷つかずに済む。
今なら元に戻れる。
しかし、執着心の激しいジェイドの事だ。
きっと心の奥底で信じているであろう。
あの空に戻るために。
「……馬鹿ですね……」
それはジェイドに言った言葉であろうか。
それとも自分に向かって言った言葉であろうか。
自分自身でさえ、よく分からなかった。
(ああ、でも私も…信じたくなる時があります…)
奈落は汚い。
汚れすぎた地上―それが奈落。
あの空を飛んで空に帰れたらどんなに良いことだろう。
もう翼すらないけれど。
願う。
恋焦がれる。
いとおしい空へと。
サフィルスはふとそんな事を考えている自分へ苦笑した。
(結局私も信じているんじゃないですか…)
あの天使の言葉に。
「……もう引き返せませんね……」
明日は作戦を実行する日である。
自分の主、アレク王子を裏切る日。
王の冠を奪い石を手にする日。
すべてが明日、決まる―
(私は…これでいいんだろうか……)
迷いはないはずだった。
だがどこかで主を裏切りたくないという気持ちもある。
アレク王子は優しい主君である。
ちょっと我が侭な所があるがそれでも人を惹きつける事の出来る人。
王の器に相応しい人。
その若き王を、自分は裏切る事になる―
昔から決まっていたはずだ。
だから王にとりいって参謀としてやってきた。
昔から決めていた事なのだ。
(………ごめんなさい)
穢れなきあなたを裏切る事になって。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
「………あ、れ…?」
頬を伝うものがあった。
雪が液体と化して流れているのだろうか。
(違う―)
これは自分の瞳から流れた涙だ。
何故だろうと思う。
何故涙を流すのだろうか。
「………っ…王子……」
思わず名前を呼ぶ。
名前を呼んだらぼろぼろと大粒の涙がこぼれた。
溢れ出てくる涙は一体何と言っているのだろう。
裏切りたくない?
離れたくない?
サフィルスには分からなかった。
分からなかったからこそ戸惑った。
分からないふりをしているだけなのかもしれない。
その方が楽だから―
ふわり、ふわり。
粉雪が舞う。
白き羽根が舞い降りる。
その羽根は心にも染み渡る。
(………私は消えゆく存在)
未来のない捨てられた鳥。
(でもあの方には未来がある)
限りなく広がる空が、ある。
「………ごめんなさい」
その空へ飛ぶ事の出来る鳥を自分は羽根をもぎ取る。
何度も謝罪を述べただろう。
そしていつまでこんな謝罪言い続けるのだろう。
そう思っていた時。
「サフィルス」
自分を呼ぶ声が聞こえた。
それはずっと昔から聞いていた声だった。
今ここにいるはずはないのに―
振り返るとそこには予想通りの人物がいた。
「ジェイド……」
プラチナと共に牢屋に閉じ込められているはずのジェイドがいた。
ジェイドはサフィルスの顔を見て少し黙った後飽きれたように肩をすくめた。
「何泣いてるんだよ?涙の跡がつくぞ。」
そう言ってジェイドはサフィルスの元へ近付き顔を覗き込んだ。
サフィルスは顔を赤らめながら涙を拭くといつも通り振る舞い「何ですか?」と聞いた。
「っていうか何であなたがここにいるんですか?」
青側の者は牢屋に入っているはずだ。
明日処刑される身が何故ここにいるのだろうか。
「ああ、それは俺の人徳って奴で出られたんですよ?」
「…嘘つかないでください」
にっこりと笑うジェイドを訝しげに睨んだ。
ジェイドは少し顔を引きつらせた後素直に自供した。
「隠し通路を使って出たんだよ。あんな狭い所いるだけで嫌になるしな。」
「…プラチナ様にバレたらどうするんですか?」
「寝てますよきっと。」
そうにこりと笑われサフィルスは飽きれたように呟いた。
「…楽観的ですねぇ…」
「それは褒めてるのか?」
「いえ、全然褒めてませんよ?」
「………」
サフィルスの性格も随分良くなったものだ、とジェイドは思った。
会話が途切れて少しした後ジェイドはふと空を見上げた。
サフィルスもつられて空を見上げる。
先ほどから粉雪は止む事を知らない。
むしろ激しさを増しているような気がする。
「…外も寒くて嫌になるな……」
少し体を震わせながらぼそりと呟く。
すると「くしゅん!!」とくしゃみをする音がした。
見るとサフィルスが鼻を啜っていた。
そしてしばらくじっと見ていると顔が青白い事に気が付く。
「…坊ちゃん、いつから外に?」
「…え……っと……いつからでしょうねぇ…」
少しボケっとしながら首を捻って思い出そうとする。
だが細かい時間帯所か大まかな時間帯でさえ思い出せない。
ただ物凄く長い時間外にいるような気がする。
「…………飽きれた」
はぁ…とわざと大きなため息をついたジェイドはサフィルスの頬に触れた。
触れて、そして驚いた。
サフィルスの頬は氷のように冷たかったのだ。
「………冷たすぎ」
「す、すみません……」
何故か知らないがサフィルスはへこへこ謝ると深く項垂れた。
そんなサフィルスを見て再び深くため息を吐くと頭を平手で叩いた。
「ぁ痛っ!!」
サフィルスは涙を浮かべながら頭を抱える。
「馬ー鹿。お前風邪引くぞ?」
「だ、大丈夫ですよ!…そんなに身体弱くないですから」
きっと、と後で付け足しておいた。
それを聞いたジェイドは3度目の深いため息をついた。
「風邪引かないでくださいよ?…明日は重要な日なんですから」
「………ぁ、はい……」
その言葉に微妙なニュアンスを感じジェイドは顔をしかめた。
その表情を見てサフィルスはしまったと心の中で呟き、明るめに声を出す。
「え、えっと…あ、明日が楽しみですねー」
「………」
そして再びしまったと心の中で呟く。
さすがにわざとらしかったらしくジェイドもジト目でサフィルスを見つめている。
(うう………)
サフィルスは素直自供しようかと思った。
「………」
だが出来なかった。
今迷っているといえばそれは彼を裏切る事になる。
裏切りたくないのだ。空に帰る事を誓った仲間であるジェイドを。
いきなり黙った相手を黙って見つめていたジェイドは沈黙していたが、
やがて「……ああ」とぼそりと呟くと冷たい頬に触れながら言った。
「情が湧いてきたのか?あの王子に?」
「………!!」
どうやらサフィルスの気持ちを察したようだ。
それが正解だったのでサフィルスは動揺してしまった。
そしてその動揺のお陰で正解だと分かりジェイドは真正面にサフィルスを睨みつけた。
「お前は空より地上を…アレク様を選ぶのか?」
「っ……私はっ……」
そんなつもりじゃ、と続くはずだった。
だが突然のジェイドの行動に驚き言葉を失う。
「……ジェ、ジェイド……?」
サフィルスの身体はジェイドによって抱きしめられていた。
「…………」
彼は黙ったままサフィルスを抱きしめていた。
「…………」
やがてサフィルスも手をゆっくりと背中に回す。
とくん、とくんと相手の心臓の音が聞こえる。
その音を目を閉じて聞いていたサフィルスは顔を少し赤らめていた。
暖かいジェイドに抱かれ、サフィルスの体温もゆっくりとあがってゆく。
しばらくした後ジェイドは弱々しく呟いた。
「………裏切るな。」
たった少しのセリフ。
だがその少なさこそ彼の心情を物語っている。
それは拾ってやった相手への激怒の言葉かに思えるが。
(―違う)
サフィルスには違うように聞こえた。
少なくとも本心のように聞こえたのだ、彼の言葉は。
普段は見えない彼の本当の言葉を聞いた気がする。
…そう思うと自然と笑いがこみ上げてきた。
「………裏切りません」
小さな声で、しかし確実に言葉を紡ぐ。
「私は、あなたを裏切りませんよ…」
背中に回した手はジェイドの服を掴んでいた。
(……たとえ私が消える事になろうとも)
消えるまで、あなたの傍に。
ずっと―
そして私はその約束を守る事が出来ました。
消える時、あなたは…どんな顔してましたっけ…?
思い出せないけど…たった一つだけ感じたのは。
あなたの涙でした。