傷というものはそんなにすぐ消えるものではないらしい。
中には一生忘れる事の出来ない傷があるそうだ。
彼の場合どうなのだろう、とカロールは考えた。
彼を妬み呪う気持ちから生まれた、彼の胸の傷。
あの頃の自分は子供だったのだ。
自分にないものを持っている彼を呪い、裏切った。
あの傷は自分の罪の証だとカロールは思う。
一生許される事のない、傷跡…―

傷跡

「カロール」
奈落城の一室にて。
蒼い髪の男カロールは実の兄、ルビイに名前を呼ばれた。
「何ですかルビイ?仕事の事でしたら僕よりプラチナ様の方が詳しいかと…」
「ああ、仕事の話やのうて。お前の話や。」
頭を掻きながら照れくさそうに笑うルビイを見てカロールは首を傾げた。
一体自分に何の用だろう。
それに自分の話というのも気になった。
何かしただろうか、と思いながら「何ですか?」と聞いてみた。
ルビイはにこりと笑いながらこう言った。
「デートせぇへん?」
「……は?」
突然のデートのお誘いにカロールは目を丸くした。
ルビイは「いいやろ?仕事も終わったみたいやし」とカロールの手を握りながら誘い始めた。
確かに仕事は終わって暇なのだが。
(あ………)
ふと先ほど考えていた事を思い出す。
先ほど仕事の合間にふと考えていた事は、彼と自分の事。
資料として読んでいた文献に書かれていた事を目にし、自分の罪の深さを再び悟ったのだ。

―本来なら僕は彼の傍にいちゃいけない……―

その文献によれば傷付けた人間が傍にいるとその傷が癒えるのが遅くなるというのだ。
それを目にし、ルビイとは距離を置いた方が良いのではないかとカロールは思い始めた。
以前焚き火の前で彼は「付いた傷は消えないし一生背負っていく」と言った。
そして「傷つけられた事も忘れない」とも言った。
それで思ったのだ。自分が居る事によって心の方の傷も癒えないのかもしれない、と。
癒える時間が遅くなっているのではないか、と。
(僕は………)
彼と時間を過ごす事でカロール自身の傷は癒え始めていた。
だがルビイはどうなのだろうか。
自分が彼の傷を癒す事などできるはずがない。
傷の大きさにきっと逃げ出してしまうだろう。
だから一緒にいるべきではないのだ。彼と自分は。
「……すみません、僕今日中にやらなければならない事があるので……」
大いに嘘だったが言い訳がそれ意外思い浮かばなかった。
するとやはり気になったのかルビイが不思議そうに聞く。
「ん?仕事か?」
「いいえ、そういわけじゃないんですけど…。すみません、今日中にやりたいんです」
そう言い訳するとルビイは「じゃ、しゃーないな…」と呟き一つ提案する。
「んじゃあまた今度な。今度はフラれへんで?」
そうにやりと笑いながら言うとルビイは廊下を歩いていった。
その背中を黙って見送りながらカロールは一つ深いため息を吐く。
(……危なかった……)
ルビイの顔を見るとついOKしてしまいそうな気がした。
でも駄目なのだ、彼の傍にいる事は。
「………ごめんなさい、ルビイ……」
そう独り言を言うとカロールは部屋へと戻っていった。

「……暇です」
カロールはベットに寝転がりながら呟いた。
教会にでも行こうとも思ったがルビイにああ言った以上城から出るわけにはいかない。
暇つぶしに読んでいた本もすでに読破していた。
やはり誘いを受けていた方が良かったのだろうか。
「……駄目です………」
カロールは自分にそう言い聞かせるように呟いた。
彼を避けるようにしなければ、と決意した。
だが、自分にそれが出来るのだろうかという不安もあった。
「………」
本当に出来るのだろうか。
城での生活では彼がすべてだった。
彼の存在が自分を支えていたのだ。
魔人だらけのこの城で、血縁者である彼の存在が。
(……兄だから安心できるってわけではないんですけどね……)
ふと彼への恋心を心の中で呟き、思わず顔を赤く染める。
彼への恋心はいつからだろう。
気が付けば視線はいつも彼へと向かっていた。
自分に持っていないものを持っている、強い存在。
そんな彼に心惹かれないわけがなかった。
「……ルビイ……」
弱々しく名を呼んでみる。
もちろん返事などは無かったが。
脳裏に笑顔で自分に微笑みかけてくれた彼を思い出す。
あの笑顔に何度救われた事だろう。
あの笑顔に何度惹かれた事だろう。
「ルビイ……」
今度は強く、呟く。
もちろん返事など無かった…はずであった。
「ん?何やカロール?」
「………え?」
起き上がり扉の方へ向けるとそこには今まで考えていた人物、ルビイがいた。
手にはサンドイッチを持っていて不思議そうに自分を見つめている。
「なんや、随分暇そうやな」
苦笑混じりに呟かれカロールはズキ、と心が痛んだ。
その目は少し悲しそうだったからだ。
ルビイは机の方に向かうとサンドイッチを置いた。
「大変そうやと思て差し入れしに来たけど…なんや、いらん世話やったみたいやな」
そう言いながらカロールの方を見る。
カロールは傷つけてしまっただろうか…と後悔交じりに彼の顔を見た。
ルビイはそんなカロールを見て再び苦笑する。
「そんな顔せんでもええて。フラれた八つ当たりや、八つ当たり。本気で言うてへんって」
そう明るく言ってはいたがやはり傷ついているのだろう。
どこか表情が優れない。
「………ごめんなさい」
カロールは素直に謝った。
「別にええて。…何か訳有りのようやしな。さ、言うてみ?」
そう言うとルビイはカロールの隣に腰掛けた。
ベットがギシ、と音を立てる。
「…………」
「何や、無言じゃ分からんて。お兄ちゃんに話してみ?」
顔を覗き込むように聞くルビイに良心が傷つきながらもカロールは無言を押し通した。
意地っ張りな所は相変わらずやな、と心の中で思いつつルビイは再び問い掛けた。
「無言じゃ分からんって。…俺が嫌いだから断ったんならそう言ってもええし」
「!!ち、違いますっ……!」
嫌いという単語に反応し、カロールは目を潤ませながらルビイを見つめる。
少し意外な反応だったがルビイは「じゃあ何や?」と聞いてみる。
「………」
カロールは言う事を躊躇った。
もしこれで彼と離れる事になったらと思うと言えなかった。
もしくは軽蔑などされた場合、自分は一体どうするのかなど。
だがしかしルビイの視線は真剣そのものだった。
だから嘘などつけなかった。
少しの間考えた後カロールは決心した。
そうしてゆっくり手を伸ばし、彼の身体に触れた。
「?」
不思議そうな目で見られたがカロールは気にする事なく自分がつけた傷を指でなぞる。
そしてその傷の深さを改めて実感した。
「……傷、まだ疼きますか?」
「?…たまにやな…雨の日の夜とか…」
質問の意味が分からずルビイは首を傾げながらも質問に答えた。
「……そうですか」
帽子の所為かカロールの顔は見えない。
表情が分からず不思議そうに見るルビイは質問の意味と問おうとした。
「それが一体……っ!!」
だがいきなりその傷を舌で舐められルビイは目を丸くする。
驚いて声が出なかった。
だがやがて正気に戻ると羞恥心が出たのか顔を赤らめながら叫んだ。
「ばっ………何しとんねん!!」
力を込めてカロールを身体から引き離す。
元々力だけはカロールよりあったので簡単に引き剥がせた。
カロールはどさ、とベットに転がされるとそのまま動かなかった。
「………カロール」
ルビイが心配になって近付き顔を覗くと意外な表情を浮かべていた。
その顔は涙で濡れていた。
「うっ………っく………」
声を出さないように泣く、カロール。
そんな弟の姿は初めて見る。
ルビイは驚いてかける言葉が見つからなかった。
「僕は……僕は……っ」
両手で顔を押えながら絞り上げるように声を出した。
「いちゃ……いけないんです……あなたの傍に……」
「……カロール」
「僕がいると…あなたの傷は癒えないんです……」
ルビイの言葉を遮るように呟いたその言葉は考えて出した結論。
自分がいるせいで癒えないのではないだろうかという不安から出した結論。
それを本人に言った。
「でも僕は……あなたと一緒にいたいんです……っ」
自分の我が侭を、正直に声に出す。
声にならない叫びがこみ上げてきた。
目からはぽろぽろと大粒の涙が出ていた。

―ああ、軽蔑されたらどうしよう。
―それとも、離れる事になったらどうしよう。

不安だけがカロールの心を支配していた。
「………?」
カロールの視界がふと明るくなる。
ルビイが隠していた両手を握っていたのだ。
「っ……見ないでください…」
掴まれた手を必死に戻そうと手を動かす。
だがルビイの力に敵うはずもなく仕方が無しに顔を背けた。
こんな酷い顔を見られてしまったという恥ずかしさもこみ上げてきた。
心臓の音が五月蝿いぐらい聞こえる。
カロールは現実から目を背ける様に、目を閉じた。
ルビイの顔を見るのが辛かった。
「………カロール、目開き」
「嫌ですっ……」
嫌々と首を振りながら拒否した。
ルビイはふぅ…とため息を吐くとカロールの耳元で甘ったるい声で囁いた。
「チューするで?」
「っ!!」
その言葉にカロールはつい目を開けてしまった。
最初に見たのは紫の色。
自分と同じ色の瞳。
「んっ………」
「……」
気が付けばカロールの唇はルビイによって奪われていた。
口の中に異物感を感じてカロールは舌が入っている事に気が付いた。
「んんっ………ふ……っ」
逃げようと舌を動かすがその所為でますます舌が絡み合った。
息苦しさに顔をしかめる。
「………っ」
その表情に気が付いたのかゆっくりと唇が離される。
糸が2人の口の間を伝った。
「……っ。いきなり何するんですかっ……!」
カロールはがばり、と起き上がった。
つられてルビイも起き上がる。
「何って……キスやけど」
あっさり悪びずと答える兄にカロールは少し呆れながら怒鳴った。
「あなたするって聞く前から狙っていたんですか!?」
それじゃないとあの素早い対応が出来るわけが無い。
ルビイはニヤリと笑いながらこくりと頷いた。
「そうやで。じゃないと目開けんやろ、お前」
「っ!!最低です!!」
ぼす、とルビイの胸を叩いた。
ルビイは「おお、痛い痛い」と痛く無さそうに反応した後真剣な眼差しでカロールを見つめた。
「……お前もアホやなぁ。そんな事で離れよう思うなんて」
「っ……!」
真剣に悩んだ事を馬鹿にされたような気がしてカロールはキッとルビイを睨んだ。
ルビイはおどけながら「おお、怖い怖い」と言った後カロールの頭にぽす、
と手を置きながら優しい目でカロールを見つめた。
「……そりゃ確かに傷は消えへんって言うたけど、お前恨んでるわけあらへんし
むしろ傍にいてくれな逆に傷つくで?」
「……でも……僕がいなければ傷だってすぐ癒えたはずです…っ」
「ほな俺の傷が癒えたらカロールは満足するんか?もうこれ罪が無くなって楽やーとか思うん?」
「っ……それは……」
思わないであろう。
この罪は一生残るものだと思っているから。
「なら傍にいて一緒にいて罪滅ぼししてくれた方が俺はええ。
…俺はお前に対する罪滅ぼしは傍にいる事だと思てるし……だから傍にいるんやで?」
屈託のない笑みでそう言われカロールは言葉を詰まらせた。
(傍にいる事が罪滅ぼし……?)
そんな償い方カロールは思いつかなかった。
傍にいられると辛いだろうと思っていたから。
(……僕は)
もしかして罪から逃げるために離れようと思ったのではないか。
実はすでにルビイを傷つけた罪の大きさから逃げていたのかもしれない。
「……僕は……馬鹿ですね……」
カロールは自分の愚かさに苦笑する。
愚かな自分。弱い自分。
罪から逃げようとしていたのだと実感した。
「……カロール…」
囁きが聞こえたと思うとルビイが抱きしめてきた。
その行動にカロールは顔を赤らめる。
「ル、ルビイ……」
「……馬鹿やあらへんて。俺も昔考えたしな……お前から離れよう思てた。
…けど出来んかった…。理由分かるか?」
突然質問されカロールは「え、え……」と言葉を詰まらせながら理由を考えていた。
一体何だろう。
そう思い考えた矢先に。
「ブー。時間切れや」
「え、ええ!?」
突然質問され突然終了した質問に戸惑いながらもカロールは首をかしげる。
そんな反応に微笑した後、ルビイは答えを言う。
「正解はな………好きやから。」
「………」
「俺カロールがめっちゃ好きやもん。離れられへんって。」
その言葉にカロールは言葉を失った。
(………それは)
つまり自分の事が。
「………」
「?どうしたカロール?」
いきなり黙った弟を不思議に見る。
するとカロールは恥ずかしそうにルビイの背中に手を回した。
そしてぎゅっと抱きしめる。
「………僕も離れません」
弱々しく囁くその声をルビイは確かに聞いた。
先ほどより強くカロールを抱きしめる。
そして確かに、彼の気持ちを聞いた。

「あなたが好きです、ルビイ………」