Your Shade




目が覚めたとき、見えたのは陽の光だった。
故郷に近い風景―畳や障子、提灯など―がいくつも存在する此処が、
起き掛けの頭であった黒鋼には、一瞬日本国か、と勘違いしてしまうほど似ていた。
だが、しばらくすると意識が現実に引き戻され、ここがモコナによって
次元移動させられ、訪れた国―沙羅ノ国である事という事を思い出す。
現に、陣主である蒼石の計らいによって出された大量の酒が辺りに散らばっている。
もし日本国でこんな事をすれば主人であり、生涯忠誠を誓った姫巫女―知世が
煩く、そして言葉でちくちくと何度も嫌味を言ってくるだろう。知世はそういう女だ。
懐かしい主人の姿を脳裏に思い浮かべながら、鼻で笑うと、
近くに転がっていた黒い物体がごろん、と動いた。
「…………」
黒鋼はそれが、自分が普段着ている黒装束である事に気づいた。
刹那に、「何で俺のマントが」と考えを巡らせた。
陣社で夜叉像の話を聞いた後、確かこちらの世界の服に着替えたはずである。
今黒鋼が着ている服は、蒼石が用意した和服だ。
日本国でもよく着ていたためか、奴より早く着替えられた事は記憶にある。
普段の服は確か部屋の隅に置いていたはず―
「…ねぇし」
寝る前にたたんであった黒装束が、ない。
近くにあったのは奴の暖かそうな白いコートと、奴の普段着など。
自分の普段着もあったので、唯一ないのが黒鋼のマント、という事になる。
と言う事は奴の仕業だろう。服がもぞもぞ動いているのが証拠だ。


「こら」
「わ」


短い叫びと共に、マントの下から白い着物を着た男―ファイが姿を現した。
悪戯っぽい視線を送った後、いつものようにへらへらした笑いを
黒鋼に向けながら「おはよう、黒様」と手を軽く振る。

「おはよう、じゃねぇだろ。…お前なんで俺のマント被ってんだよ」
「んー?黒りんの匂いに包まれていたかったから…じゃ、駄目?」

白い男はからかい混じりでそう呟くと、心底楽しそうに笑った。
この男はいつもそうだ。黒鋼をからかうのが楽しくて仕方がない、といった感じである。
不本意ながらもそんな扱いに慣れた黒鋼は「馬鹿」と軽く頭を小突いた後視線を胸へと滑らせる。



「乱れてる」
「あ、本当だ」

見るとファイの着物は左右が非対称になっている。
どうやら寝ている時に少しずつ着物がずれて、裾がはだけたようだ。
右は足首しか出てないが、左は膝上まで足が見えている。
現に左胸が少しだけ見えているのを黒鋼は見逃さなかった。
直さなきゃー、なんて呟きが聞こえてきたが、
そう言っているわりには直す気がないように見える。
一体こいつは何がしたいんだ、と思いながら睨んでいたら「黒りん」と名を呼ばれた。

「直したいんだけど直せないんだー。どうしよう?」
「………」

直して欲しいって言え、と言おうとしたがやめた。
「どうしよう?」なんて言ってはいるがこれは強制的に「やれ」と言われたようなもので。
確かに着る時も蒼石に手伝ってもらってじゃないと着られなかったような気がする。
着た事のないものを「自分で直せ」なんて言っても仕方がないと判断し、
黒鋼は「立て」とファイを誘導した。
それにファイは素直に従う。
黒鋼が近づき、ファイの帯に手をかけた瞬間「あ」と小さく呟いた後、
何か悪戯を思いついた時の顔をしながら、黒鋼と視線を合わせる。



「黒みー、お代官様ごっこやろう」
「…お代官様ごっこ?」

何だそれは。 聞いた事のない単語に「あれ、おかしいなぁ」とファイは首を傾げる。
ファイは黒鋼が知っている事を前提に話を持ち出したらしい。
その様子にますます黒鋼は訝しがった。
彼の表情を見てファイが悟ったのか、「黒みー知らないんだー」と呟いた後、
にっこりと笑いながら指を突き当てる。

「モコナが『日本国にはお代官様ごっこっていうのがあって、
悪代官様が娘の帯をくるくる〜って回すの〜』って言ってたよ?」
「………何だ、それは」

先ほど心の中で呟いた言葉を口に出す。
あの白まんじゅう、一体日本国にどんなイメージを抱いているんだ。
そう思いながら黒鋼は話題となった帯をまじまじと見つめる。
確かに引っ張るには中々いい紐かもしれないが、
黒鋼は経験上、そんな事をした記憶がない。
お代官様、というのなら身分の高い殿や姫―知世辺りがやるものなのだろうか。
だが黒鋼には帯をくるくるしている知世の姿を想像する事は出来なかった。

「そっちの日本国ではやらないんだ?
じゃああの次元の魔女がいる所ではするのかなー?」

でもあの人たちワフクだっけ?と発音悪く「和服」と口にするファイを見つめながら、
黒鋼は帯に目線を合わせるため彼の前で跪くと、ファイの承諾もなしにするりと帯に手をかける。
結ばれていた帯は簡単に外れ、先ほどまで帯の上にまとまっていた着物の一部は、
重力に逆らえずそのまま下へ下がる。
膝下にまで上がっていた着物は右と同じぐらいの位置まで下がったのだった。



「……ねぇ黒ぴっぴ。この体勢ってちょっとドキドキしない?」
「…………」

目線をまっすぐ向けると、そこにはファイの雪のような白さの肌と、奴の性器。
今こそ着物で少し隠れているが、捲れば露になる位置。
普段見慣れているとはいえ、そう指摘されると黒鋼は戸惑う―否、恥ずかしい。
照れを隠しながら「何馬鹿な事言ってんだよ」と悪態をつきつつ、ゆっくりと立ち上がる。
そうしてファイと視線が合った刹那、黒鋼の動きが止まる。
その瞳は、驚きで見開かれていた。



「しようよ。黒たん」



帯がない事をいい事に、ファイは一瞬のうちに着物を脱ぎ捨てる。
全裸になった相手を真正面に捕らえながら、黒鋼は口が開けずにいた。
ファイの表情は、いつものへらへらした笑顔ではなく、妖艶と呼ぶに相応しい。
戸惑いを隠せないまま、黒鋼は息を呑む。
何故、突然こんな事を言い出すのか。
確かに二人の関係はファイから無理やり襲ってから始まった様な気がする。
だがしかし、こんな有無を言わさぬ視線を送りながら、強要するのは久しぶりだ。
前は確か、桜都国で一回このような出来事があった。
―初めて目にしたのは高麗国だったか―曖昧だが、そんな出来事があったような気がする。
最初は目の錯覚かと思った。あんな表情で強請る奴だとは思わなかったから。
桜都国の場合、その日はにゃんにゃん言って酔っていたから、それが原因だと思った。
後々考えてみると、その日のファイは様子がおかしかったのだ。
―否、自分がおかしくさせてしまったのかもしれない。



『まだ命数尽きてねぇのに、自分から生きようとしねぇ奴がこの世で一番嫌ぇなんだよ』
『……じゃあオレ、君の一番嫌いなタイプだね』



そう呟く奴の表情は、笑っていたけど今にも泣きそうな表情で。
今でもあの時見せたファイの顔が脳裏から、離れないでいた。



「………黒ぷー」
ぎゅっと抱きしめられ、黒鋼は我に返る。
「おい」と抗議する前に唇を奪われ、黒鋼の息が止まる。
ファイの舌の進入を易々と受け入れ、されるがままに、なぞられる。
口から、息が漏れる。
舐めあう音を他人事のように聞きながら、黒鋼は目を閉じた。
そうして、自ら舌を絡ませた。

嫌いなわけじゃない。
こいつも、この行為自体も。
最初は違和感しか覚えなかったこの関係も、黒鋼本人から誘う事もしばしあった。
そうして抱き合い、絡ませあい、果てながら思うのだ。



―あいつは、ただ単に現実から逃れたいだけなんじゃないかと。



「んちゅ………っん……」
「………っ…」

その結果がこれか。
快楽に身を任せながら、そんな事を思う。
今こうしてファイが不安定なのは、きっと昨夜見たあの夜叉像が関係あるに違いない。
阿修羅という名を聞いた時、一瞬だけ顔色を変えたファイは、いつもの奴らしくない表情だった。
元いた国の、水底に眠っている人に関係があるのか―それを問いだす事は、少しだけ躊躇われた。
逃げ出さなきゃならないほど、追い込まれた奴に「言え」なんて強要出来るだろうか。
元々、自分の事については全然語らない男だ。腹を割って話してくれるとは到底思えない。
そんなに俺達が―俺が、信用出来ないのか、と思ったが
これがあいつの人との接し方なのかもしれない。
黒鋼には真似出来ないし、する気もないが。



「………黒わんこ、あんまり乗り気じゃない?」
反応のない黒鋼に膨れっ面を向けながら、ファイは呟く。
そんな魔術師の蒼い瞳を見つめながら、黒鋼は聞くべきかどうか、悩む。
阿修羅の事、元いた国の事―そしてファイ本人の事。
本来なら干渉しあうべきではないのかもしれない。
次元の魔女は、「必然」と言っていたが、
黒鋼には、こうして旅をしている事は「偶然という名の奇跡」としか思えないから。
関わりあう事のない相手と、繋がってしまった。
望むままに、踏み込んでいいのだろうか。

「………お前は」
そう思いながら、気づいた時にはそう呟いていた。
「?」
やっと口にした言葉の意味が分からず、ファイは黒鋼の次の言葉を待つ。
どうしたら上手く言えるのか。どうしたらあいつを傷つけずに言えるのか。
分からないまま、心の迷いを、はっきりと言葉にする。
奴に聞こえるように、否定して欲しいと願いながら。



「お前は、俺を利用してるのか?」
「―――――」



部屋が沈黙に包まれる。
外から聞こえる鳥達の鳴き声も、廊下を歩く足音も聞こえない、無音の世界。
世界に黒鋼とファイしかいないと思わせるような、そんな世界に。
絶望的な言葉が、胸を貫く。



「もしそうだとしたら、君はどうするの?」



今度は黒鋼が黙る番だった。
それは、是とも否とも取れる曖昧な言葉。
否定して欲しいと願った事は、もしかしたら本当かもしれない。
そんな不安が黒鋼の胸を締め付けた。
こいつはただ現実から逃げたいだけで、一瞬だけでも忘れたいがために、
こうして自らの身体を差し出しているのではないか―黒鋼にはそうしか思えなかった。
質問を質問で返す、その返事の仕方は卑怯だ、と奥歯を噛み締めた。

黒鋼が黙って睨むと、ファイは困ったような、それでいて楽しそうな笑みを浮かべた。
そうして黒鋼の胸に顔を添えながら、小さな声で呟いた。



「…ごめん、冗談。好きじゃなかったら、黒様の事こんな風に抱きしめてないよ?」



そう言って笑顔を浮かべたままだが、黒鋼はこの笑顔が嘘だという事を知っている。
この表情は、嫌というほど見てきた。
悲しい時、一人でいたい時―どんな時でもこいつは笑っているのだ。
偽りという名の仮面で素顔を隠しながら。
結局、踏み込んではいけないのだろうか。
所詮自分とは他人同士だから、一時しかいられないから、
だから近寄るなと、そう言いたいのだろうか。
苦い思いを噛み締めながら、黒鋼はそっと彼を抱きしめ返す。
一瞬だけファイの身体が敏感に反応した。



「それが、お前の答えか?」
「……うん、これがオレの答え」



その答えが本当の答えじゃない事を知りながら、そんな事を呟くファイに苛立つ。
付きたくなる悪態をどうにか堪えながら、黒鋼はお望みどおり、ファイを押し倒す。
痛い、と声が聞こえたが貪り付くように唇を奪い、黙らせた。
頼むから、これ以上偽りの言葉を吐かないでくれ。
そんな無意味な事を思いながら首筋に指を這わせる。
時折漏れる声も、善がる表情も、すべて偽りのように思いながら。




後書き(白文字)

黒さまはぱーっと正直に言うタイプだと思うんですが、
「腹割るつもりはねぇみてぇだからな」というセリフでファイに関しては
そうでもないのかなーと思って書きました。で、出来たのがこれ。
多分黒鋼も話したくない事があるから、聞かざるべきか躊躇ってるんだと思いますが。
一応Chapitre.57に繋がるように頑張ったんですが、繋がるかなぁ…。
一晩中お酒飲んでたってファイが言った時、
「酒以外にも色々楽しんだんだろ!?」と興奮したのは言うまでもありません。(ハァハァ