その日は雨だった。
しとしとと小さな音を流しながら屋根から地面へ降り注ぐ音。
普段聞こえる街の騒音も、この日ばかりは雨の音によってかき消される。
そんな音を心地よく聞きながら昼寝していたら、夢を見た。

その夢の世界は青かった。
青と紫の色をした紫陽花。
お気に入りの青い傘を差して、水たまりに映る世界を楽しげに踏んでいった。
その時だけは、水たまりに映る世界が自分のもののように思えてならなかった。
自分が触れる事によって揺れる世界。
太陽が出れば、いつしか消える運命にある世界の支配者。
自分にはお似合いの世界だ、などと苦笑しながら雨の夢を見続ける。

夢という感覚はある。
その気になれば起きられる事は理解していたが、どうしてもまだ夢を見続けていたかった。
何故ならいつも夢に出てくるあの人が、まだ出てきていないから。

(あ………)

そう願うと、彼はすぐさま姿をあらわすのだった。
いつものように1つの表情しかしない彼の姿が、そこにあった。

無機質な夢。
夢物語と呼ぶに相応しい空想。
そんな夢を毎日、見ている。




その日は雨だった。
湿った雨と、いまいちすっきりしない空。それと生暖かい気温であるため、
息子のロイドが朝から何もせずにだれてしまったほどだ。
ロイドの育ての親―ダイクの仕事を手伝っていたクラトスも、雨音が強くなるにつれ、
作業に使う木材が濡れて使えなくなる事もあり、今日の仕事は中止になってしまった。
暇を持て余し、何をしようかなどと考えていると突然来客が訪れたのだった。

「なんでこっちも雨なんだい〜…濡れちまったよ」
挨拶もなしに突然扉が開き、体を震わせながらやってきた訪問者は…
「ん〜……しいな…?」
昼寝をしていたロイドが物音と懐かしい声で目覚める。
しいなは声のする方へ顔を向けると、瞼の重いロイドを苦笑しながら眺めた。
以前と変わらない少年に対して安心したのだろう。
苦笑こそしていたが、とても嬉しそうな表情をしているのが分かった。
「一体何の用だ、しいな?濡れてまでわざわざここまで……」
先ほどまでロイドの近くにいたクラトスがいつのまにか
タオルを片手に持ち、しいなに向けて差し出していた。
素早い行動に目をしばたかせていたしいなだったが、
すぐさま「ありがとう」と呟き、顔についた雫を拭いていく。

「あ、用事なんだけど……ちょっとだけ時間取れないかい…?
話したい事があるんだけど……」
やがて落ち着きを取り戻したしいなが、ロイドに向かって話し掛ける。
声をかけられたロイドは不思議そうにしいなを見た後、
遠くから自分たちを見つめていたクラトスに目配せをする。
視線の意味に気づいたクラトスは彼に向かって頷くと、すぐさま階段の方へと歩みを進めた。
「あ、遠慮しなくてもいいんだよクラトス!!」
立ち去ろうとしたクラトスの後ろ姿を発見し、「待った」をかけるしいな。
何故止められたのか分からない、という表情をしながらクラトスは
背中を向けたまま頭だけ動かし、目線を彼女の方へ向けながら、優しく語りかけた。
「………ロイドに用事があるのだろう?私は上にいるから気にせずにゆっくりしなさい」
そうして再び階段を上がろうとすると、しいなは再びクラトスを引き止めた。
「な、何気使ってるんだよ!!別に、あたしはそんな話をしに来たわけじゃ……」
そう呟いた言葉の最後の方は聞き取れなかった。
しいなは顔を真っ赤にしながらそわそわしている。
体を動かしてないと落ち着かないのか、先ほどから手を擦ったり握ったりとせわしない。
(違うのか……)
息子に訪れた春のチャンスだったのに、と思いながらクラトスは確認のためロイドの方を見る。
するとロイドの方もさほど気にしていないらしく(というか気づいていないらしい)
「一緒に話聞こうぜ、クラトス」と満面の笑顔で言われてしまった。
相変わらず鈍感な子である。
気づかれないよう小さく「フ」と笑うと、彼はロイドの隣にゆっくりと腰をおろした。
一人で盛り上がっていたしいなは、周りの状況に気がつくと、
「あ、あたしも座っていいかい?」と聞き、
ロイドとクラトスが承諾すると、彼らの正面に正座したのだった。




「最近ゼロスの様子がおかしいんだよ」
しいなは淹れてもらったコーヒーを両手に抱え込み、首をかしげながら呟いた。
ため息とともに呟いたその言葉は、かつて一緒に旅をした仲間―ゼロスの身を案じるもの。
統合した世界―テセアラとシルヴァラントの友好条約の仕事で
最近はシルヴァラントにいる事の多いしいなだったが、
情に熱いこの娘の事だ、ゼロスの事が気になって仕方がなかったのだろう。
「………テセアラの神子が、おかしい?」
話を息子のロイドと一緒に聞いていたクラトスは、驚いてしいなの顔をじっと見つめる。
じっと見つめられたしいなは、少し慌てて「そ、そうだよ」と呟いた後、
ロイドとクラトスを交互に見ながら、暗い表情で言葉を続ける。
「何て言うか、いつもよりぼーっとしている…っていうか…やる気ないっていうか…」
「ゼロスがやる気ないのはいつもの事じゃん?」
コーヒーと共にテーブルに出した煎餅を齧りながら、ロイドが横からちゃかす。
そう言われ一瞬言葉を失ったしいなだったが、
「そ、そうだけどさ…」と呟き、ゼロスのフォローをし始めた。
「何か前の時とは違うやる気のなさ、っていうか……生きている感じがしないんだよ」
その言葉に、先ほどまで呑気に煎餅を頬張っていたロイドの動きが止まる。
「………生きている感じが、しない……?」
態度を改め、真剣な面持ちでしいなに聞き返すロイド。
しいなはこくり、と頷くとコーヒーに映る自分の情けない表情を見つめながら、
心底困ったように呟いた。
「最近、あたしが会いに行っても眠っている事が多いし…。
笑顔も嘘臭いし…何だかやつれ始めたように見えるんだ。」
「…………」
「…………」
部屋が沈黙に包まれる。
3人とも何も喋らず、互いに身動きが取れないでいた。
クラトスは目を閉じ、最後に会った時のゼロスの姿を思い浮かべる。
最後に会った時の彼は、いつものように道化という名の仮面を被り、明るく振舞っていた。
ロイドなど、仲間達にも馴染んでいたし、小さい頃一緒にいた頃より元気そうだと思ったものだ。
自分に向ける表情は複雑そうだったが、それもいつもの事だし、
何ら変わった様子はないように思える。

一体何故、そうなってしまったのだろう。

「うーん………」
ロイドは悩んでいるのか、口に出して云々唸っている。
彼なりに何かいい案はないか考えているのだろう。
ロイドもしいなに負けず劣らず、お人好しで仲間思いな子である。
そんな彼に救われる事が、クラトスにも何度かあった。
「あー、どうしよう……」
同じくぶつぶつ呟きながら思案を巡らせるしいな。
「………」
煎餅を口に挟みながら、頬杖をつきながら唸っているロイド。
いい提案が思いつかず、突然頭を抱え始めたしいな。
眠っているかのように目を閉じ、静かに考えこんでいるクラトス。
傍目から見たら異様な風景であるが、これでも全員、真面目に考えているのであった。





「まずは本人に話を聞きにいこうぜ」
レアバードに乗ってダイクの家からメルトキオまでやってきたクラトス達は、
ロイドの提案により、まっすぐゼロスの屋敷を目指した。
結局あの後、長時間頭を使えないロイドが限界に達し、
「理由が分からないんなら、本人に聞く以外に方法はないだろ!!」と提案したのだった。
だがこの言葉にクラトスは懸念を抱いた。

「神子…ゼロスの精神的な傷に触れる事にならないか?」

ロイドやしいな、―もちろんクラトス自身も―が心配していると分かった場合、
余計なお世話だ、と拒絶する場合もありうるだろう。―それが嘘だとしても。
元気がない理由も単純に季節柄、というのも考えられるし、
昔を思い出し、憂鬱になっているのかもしれない。
クラトスもアンナが死んだ時、自分が思い出に浸り現実から目を背けていた事があったから。

どんな理由でそうなったかは分からないが、ほんの些細な言葉、行動だけでも
ゼロスを傷つけるのではないのか。そう異論を唱えた。
「だからってゼロスを見捨てるわけにはいかないよ」
しいなはロイドの意見に同意する。
先ほどまで頭に血が上っていたロイドも、ようやく落ち着いたのか、
いつもの彼らしい純粋な瞳でクラトスを見つめた。
「それにさ、クラトス。傷つける以前にゼロスが死んじゃったら元も子もないだろ?
俺は後悔しないためにも…テセアラに行くよ。ゼロスが心配だ。」
「ロイド………」
知らず知らずのうちにゼロスに対して臆病になり、踏み込まず、受け入れず
真正面から見つめる事をためらった自分自身に、クラトスは恥じた。
だからゼロスにも嫌われていたのだろうか。
複雑そうに見つめる瞳は、不満の表れだったのかもしれない。
ゼロスに対して救いの手も差し出せない自分が情けなかった。
考えをめぐらせていると、目の前にロイドの手の平が差し出された。
驚き、クラトスはロイドの顔を見上げる。
「じゃ、行こうかクラトス?ドワーフの誓い第2番、
困っている人を見たら必ず手を貸そう!なーんてな」
照れながらそう呟いたロイドに、迷いは一欠けらも見当たらない。
自分には勿体無いぐらい出来のいい息子に、クラトスは誇らしさを憶えた。

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