いってらっしゃい。
「ふぅ……」
テセアラの都、メルトキオに建つ雄大な建築物―
テセアラ城を後にしながら、しいなはため息をついた。
風景に不釣合いな長い帯が、風になびく。
彼女が身にまとっている衣装はメルトキオにすむ娘達とは違い、
独特な形をしており、和服と呼ばれる物を着ている。
しいなはメルトキオの者ではなく、遠く離れた隠れ里―
忍びの村と呼ばれるミズホの出身だ。
王が里に命令を出したため、久々にここメルトキオにやってきたのだが。
(こんな仕事を受けに来たわけじゃないんだけどねぇ……)
彼女は少しだけ後悔した。
つい先ほど、教皇と王様との間で決まった事柄を思い出し、重々しい気分になる。
だが確かに王が管理する近衛兵や、教会が管理する教皇騎士団がするような仕事ではない。
生きて帰ってこられるか分からないような仕事を、わざわざやらせるものか。
ここはしいな達のような少し毛色の違う人種にやらせた方がいい、と考えたのだろう。
とりあえず今回の仕事はミズホの里のものがやる事になったのだ。
メルトキオのために、里のみんなのために頑張ろう。
そう決意し、彼女は街の門まで歩みを進め始めた。
その矢先―
「お、しいなじゃん」
「……え?」
ふいに声をかけられ、しいなは声がした先に顔を向ける。
途端に彼女の表情は険しくなり、目の前の男が苦笑しながら気安く話し掛けた。
「久々の再会にそんな顔はないんじゃね〜の?」
どうやら自分を見た途端、しいなが不機嫌そうな表情を返したのが気になったようだ。
相変わらず軽口しか叩かない男に、しいなは冷ややかに告げる。
「あたしはあんたに会いたくなかったんだけど?」
「ぅわ、しいなが虐める〜」
わざとらしく肩を下ろしながら、男は嘘泣きをし始めた。
そんな彼を仕方がない、とでも言いたげに見つめながら、
しいなはからかうように言葉を発した。
「ご機嫌麗しゅう、神子さま……とでも言って欲しいのかい?」
「あ、そりゃいいね。普段と違う呼び方って結構たまんねぇよな〜。
でも俺は神子さまより〜ご主人様とか、ダーリンとか呼んで欲しいかも?」
「っ……!!誰が呼ぶか、このアホ神子!!」
口の減らない男に対し、いい加減恥ずかしくなったしいなが思わず叫びだす。
お陰で近くを通りかかった近衛兵や、上流社会でちょっと有名な婦人方が
ひそひそと囁いたり、疑わしげな目でしいなと男を見つめるではないか。
だが男を見た途端、「あぁ、神子さま…」と納得しながら帰っていくのは、
彼の人柄がそういう風に認識されているのだろう。
そんな周りの視線などお構いなしに、男はにやついた顔を隠そうとせず、楽しそうに笑う。
「まぁ冗談は置いておいて、と。…元気そうじゃんしいな。」
「……まぁ、ね。…久しぶり、ゼロス」
やっとまともな会話になり、少し安心しながらしいなは男―ゼロスと挨拶を交わす。
ゼロスは久々に見るしいなの表情をまじまじと見つめた後、視線を下へと下ろした。
そしてしいなの胸付近に視線がいくと、いやらしく笑う。
「!!」
「あらら、どうして隠すかな〜?」
「あんたの視線がやらしいからだよ!!」
両手で胸を隠すように抱きかかえながら、しいなはセクハラに耐えかねないとでも
言いたげに、顔をほんのりと赤らめた。
先ほどの安堵はやはり間違いだった。ゼロスはやはりこういう男である。
ガードの固いしいなを見ながらゼロスは「ちぇ」とふてくされた。
「で、今日は何でまたメルトキオに?」
レモンを紅茶の上で泳がせながら、ゼロスは優雅に香りを楽しんだ。
しいなは猫舌なのか、何度もふぅふぅと息をかけた後、ようやく一口にする。
ここはメルトキオ城付近に構える、ゼロスの屋敷である。
代々神子が暮らしてきた伝統ある建物で、その大きさに例えば田舎からやって来た旅人ならば、
口をあんぐりさせながら羨ましそうに、もしくは贅沢な暮らしだ、と落胆したように見つめるだろう。
そんな屋敷に小さい頃から暮らしているのが目の前の男―ゼロス・ワイルダーである。
ゼロスはマーテル教会が定めた「神子」という位にいる。
その位とは、真面目に働いている職員から見ればただの遊び人に映る事もしばしば。
教会が定めし仕事さえすれば、定職に就かなくていいという、非常に楽な位だ。
だが世界が今まで通り繁栄していくのであれば、の話だが。
ゼロスの神子という立場を思い出し、しいなは改まった様子で座りなおす。
会ったのは偶然だが、メルトキオには仕事として来たのだ。
マーテル教会の象徴である彼には言わなくてはいけないだろう。
「……仕事さ。あんただって教皇から聞いてるんだろ?シルヴァラントの事」
「あぁ、あれねぇ…」
しいなの言葉を聞き「ふーん」と呟きながら、ゼロスはゆっくりスプーンを回す。
興味がなさそうな神子の返事にしいなは眉を潜めた。
しいながする大きな仕事は彼にだって―否、テセアラに住むすべての人々に関係あるのに。
人の命がかかっている仕事を何だと思っているのだろう。
そう思いながら、しいなはじっとゼロスを睨んだ。
「んん?しいな、何だか不服そうだな?」
睨まれるのが予想出来ていたのか、ゼロスは言葉とは裏腹にまったく気にしていない様子を見せた。
その態度が、かえってしいなの怒りを煽った。
この男は…とため息をついた後、しいなは彼の瞳を真正面に捉えながら説得を試みる。
「この仕事は、テセアラを衰退させないための、大きな任務なんだ!
あんただってテセアラに住む住人なら分かるだろう!?こっちが衰退世界になったら―」
「マナは枯渇し、樹や大地は枯れ、作物は育たず、モンスターがいっぱい。だろ?」
「そうさ!あんただって嫌だろ!テセアラが滅んでいくのは!?」
感極まり、しいなは語気を荒げ、勢いで椅子から立ち上がる。
突然立ち上がったしいなに驚きもせず、ただ黙ってゼロスは彼女の様子を眺めた。
やがてしいなは、ゼロスの視線に耐え切れなくなり、彼から目を逸らした。
自分は間違っていない。そんな自信がしいなにはあった。
いまいちやる気のないゼロスが悪い、そう決め付けながら先ほど王家で起こった出来事を思い出す。
彼女は今回、教会と王家の命令により衰退世界シルヴァラントに偵察しに行く事になった。
決めたのは教会の最高権力者である教皇だ。
王家とミズホの民は代々友好関係にあった。
だが今の教皇になってその信頼関係が少しだけ変わったのだ。
教皇は自分と違う種族の人間を認めない。
ハーフエルフへの差別も彼が教皇に君臨した事で、以前より激しいものへと変わっていった。
しいなは彼の嫌うハーフエルフではないが、ミズホも他の種族と違い、
独自の理念、文化、そして高い戦闘能力を持っている。
そんな国をあの教皇が放っておくわけがない。
だがミズホが王家と親しい以上、堂々と攻め入るわけにはいかないのだ。
何かしらの理由をつけて陥れたいのだろう。
無理難題を教会から押し付けてくる事がしばしあった事をしいなは覚えている。
だがミズホの隠密衆はその難題をやってのけるだけの能力を持っている。
今まで教皇のプライドをことごとく砕かせてきたのが逆燐に触れたのか、
教皇はついに難題中の難題を押し付けてきたのだった。
「シルヴァラントの神子が世界再生の旅をし始めたらしい。」
そんな一言から、始まった。
テセアラに技術提供をしているレネゲードからによる情報だ。間違いはない。
彼らはシルヴァラントにも基地を構えている。
一体どういう方法で両世界を行き来しているかは誰にも分からないのだが、
今まで神子暗殺を買って出ていた集団である。もちろん信頼出来る相手である。
「さすがにわし等も、ずっとレネゲードに任せっきりというのも申し訳ないだろう?
それに今回の再生の神子は、力を秘めた凄腕の用兵を雇ったという事だからな。
レネゲードの連中もそれは予想外だったらしい。苦戦しているようだ。」
「あのレネゲードが、手擦っている……?」
しいなにはにわかには信じられない話だった。
ミズホの偵察者も少しだけだが、レネゲード基地で監視を行っている。
彼らの話によると、レネゲードは技術も凄いが、腕も確かなのだ。
それはレネゲードを指揮している青年の姿を見れば分かる。
威圧感、そして的確な指示を与えるその姿は、参考にしたい、と
偵察にいった仲間が言っていたのをしいなは聞いた。
「そこで、しいな…ミズホの民よ。そなたに命ずる。
レネゲードの技術を借り、シルヴァラントへ参れ。そして神子を殺すのだ」
今まで黙っていたテセアラ王が、有無を言わせない重圧のある声でしいなに命令を下す。
しいなはしばし呆然としていたが、ここで否と答えるという事は
王家との関係を断ち切る事になる。…教皇のいやらしい笑みが想像出来るのが悔しい。
しいなとてシルヴァラントとテセアラの関係を知らないわけではない。
断るという事はテセアラを見殺しにする、という事なのだ。
彼女に、拒否をする事など出来はしなかった。
なぜならば、それはテセアラを見捨てるという事だから。
しいなの脳裏にさまざまな人の姿が浮かんでくる。
幼馴染のおろち、くちなわ。
自分の所為で眠りから覚めない頭領。
そんなミズホを支えているタイガおじさん。
とある一件以来、しいなの事を快く思っていないミズホの里の民の姿もそこにはあった。
自分の所為で傷ついた人達がいる―その人達に罪滅ぼしもせず、ただ何もしないで、
彼らの怒りが消えるのを待つ事だけは、したくなかった。
みんなを失いたくない。
失わせてたまるものか。
しいなは意を決し、深く礼をすると自分自身にも言い聞かせるように、言った。
「藤林しいな。その任務、確かに引き受けました。」
王は満足そうに頷き、教皇は口元を少しだけ緩めた。
こうしてミズホの里を代表して、しいなはシルヴァラントの神子暗殺を買って出た。
いつ終わるかも分からない―帰ってこられるかも分からない果てしない旅が、始まる。
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