「だからあたしは……シルヴァラントの神子を殺して、テセアラを救ってみせる…!!」
最後は自分に言い聞かせるように、しいなは言葉を噛み締める。
力強く握った拳は、血こそ出ないが、力の入れすぎで徐々に赤くなっていった。
そんなしいなを、ゼロスは探るような目で見つめる。
その視線すら気づかないぐらい、今のしいなには余裕がない。
普段の彼女なら、視線に気づいて顔を上げてくれるだろうに。
(…いや、元々鈍いんだった。)
ゼロスは心の中で言葉を引っ込め、こっそり修正した。
思い沈黙が部屋を支配する。
しいなは悔しそうに唇を噛み、ゼロスは静かに紅茶を啜る。
やがて耐え切れなくなったのか、それとも飽きたのか。先に喋ったのはゼロスだった。
「でもよ、そんなに力んでやる事じゃないでしょーよ?
プレッシャーになるだけじゃねーか、お前にとって。」
「え……?」
ゼロスの言葉に、しいなは気が緩んだような表情で彼を見つめる。
正直意外だった。彼からそんな優しい言葉をかけられるのが。
しいなと目が合い、ゼロスは一瞬だけとても優しい瞳で彼女を見たが、
すぐさま表情は変わり、いつもの軽薄そうな顔に戻っていた。
「というか、王国は民を守るためにあるはずなのに、
なんでその民に難しい任務を押し付けるかね。ミズホの隠密集団だって民だろうに。」
ゼロスは、王に対する不満を露骨に表す。
王立騎士団が聞いたら仰天しそうな事を平気で言う男に、しいなは呆然と立ち尽くす。
神子は確かに王に次ぐ権力を与えられている。
しかし、だからといってメルトキオを支える国王を平気で侮辱する権利があるわけではない。
もし誰かに聞かれていたとしたら首が飛ぶかもしれないのに、この男は相変わらずだ。
「……仕方がないよ、あたし達は普通の人達と毛色が違うからね。」
しいなにはゼロスの意図が読めなかったのだが、自分の意思はちゃんと伝えた方がいいだろう、
と思い「だけど」と小さく呟いた後、力強く声に決意を込める。
「テセアラを救えるんだったら、あたしは何でもやるよ。ミズホのためだけじゃない。
この世界に住んでるみんなのために…それに、一応あんたのためにもね。」
最後はついでだ、とでも言わんばかりの適当さで、しいなは話を纏めた。
もしここが衰退世界になったら、ゼロス―もしくは彼の妹セレスが再生の旅に出なくてはならない。
セレスは分からないが、王都で贅沢な暮らしをしてきたゼロスに再生の旅は辛いだろう。
それにいまいち信用できないのも確かだ。
本当に世界は再生されるのかとハラハラしながら待つのは、しいなの性に合わない。
だったら現状保持が一番てっとり早いだろう。無駄な心配をしなくて済むのだから。
そんな事を思いながらも、しいなは微笑みをゼロスに向けた。
だが目が合った男は、いつものゼロスではなかった。
気づくと、しいなはとても強い視線に射抜かれていた。
もちろん、この部屋にはゼロスとしいな以外いない。
なのでゼロス本人の視線なのだが、いつもの軽いノリの彼らしくない、真面目な表情だった。
「……?どうかしたのかい?何か変なもんでも…」
食べたのかい?と続けたが、ゼロスの反応はなかった。
彼は何もいわない。ただしいなを見つめるだけだ。
何だか歯痒くなり、一体何事だ、と問わんとした刹那、
ゼロスはとても低い声で―怒りながら呟いた。
「そうやって、しいなは一生誰かのために生きて、誰かのために死ぬのかよ」
「………は?」
彼の言っている意味が分からず、思わず声が裏返る。
何に対して怒っているのだろう。それすらも分からず、しいなは動揺するばかりだ。
その態度も気に入らない、とでもいいたげにゼロスは小さく舌打ちすると
彼女を睨みつけながら、苦しげに、そしてどこか悲しげに言葉を紡いだ。
「昔自分の所為で人が死んでしまったから、その罪滅ぼしのために
お前は自分自身を犠牲にすんのかよ、って言ってんだよ」
「―――――――――」
ゼロスの言葉に、しいなは硬直する。
背筋が凍る。
身動きが取れなくなる。
ゼロスの言葉にしいなは、一番辛い過去―精霊ヴォルトとの契約に失敗し、
ミズホの里の仲間を見殺しにしてしまった出来事を思い出す。
幼かったしいなは、ヴォルトが怖かった。
理解出来ない言葉に混乱し、次々と死んでいく仲間達を見て恐怖を覚えたのが記憶に残る。
初めて「死」というものを目の当たりにしたしいなは、
その死を呼び、次々と殺していったヴォルトから目が離せなかった。
その所為で自分の大切なお爺ちゃん―頭領が倒れた事にも気づかずに。
しいなは唾を飲み込むと、額から冷や汗が流れはじめた。
ゼロスの言わんとしている事は理解できる。
だがまさかあの出来事を持ち出されるとは思わなかった。
今まで極力思い出そうとしなかった出来事を突きつけられ、しいなは戸惑う。
それと同時に、やるせない自分への怒りと後悔、そして懺悔が脳裏に蘇る。
自分を冷たい瞳で見つめる里の仲間達。
気持ちを偽りながら、しいなに良くしてくれた人もいた。―本当は憎んでいるはずなのに。
心臓が高く跳ねるのを聞きながら、しいなは次の言葉を捜した。
これ以上、自分を曝け出すのは嫌だった―一刻も早く、ゼロスを納得させなくては。
「あ、あたしは……」
気持ちの整理もつかないまま、そう躊躇いがちに声をあげると、
一歩も引く気がなさそうなゼロスは、「何だよ」と返した。
「………。」
どうしよう。
だんだん険しくなるゼロスの表情を見つめながら、しいなは自分の気持ちと向き合う。
だが何度考えても先ほど言った事がすべてだとしか思えなかった。
彼の言うとおりなのだ。
しいなは里の仲間達のために、自らを犠牲にするつもりだ。
関係の修繕のために、難題も諦めず、やり遂げる。
それがしいなにとってもっとも大切な事であり、犠牲になった人達への罪滅ぼしだ。
(だけど……)
そう言ったらゼロスは怒ってしまうだろうか?
しかし一体何故彼は怒っているのだろう、そんな事をふと考えてしまう。
自己犠牲なんてくだらないと思っているのか。
それとも自分の事を気遣ってくれているのか、
と考えたが何か違う気がしたのでその考えは切り捨てた。
ゼロスにとってしいなは、取り巻きの女の子と同じように「その他の女の子」でしかない。
養子も貴族のお嬢様方に比べると劣るし、身分もどちらかといえば低い。
彼が好きなのは、しいなの胸だろうし。そう思うと自然とため息が漏れる。
これは彼の気まぐれだ、と判断したしいなは、
ゼロスを不機嫌にさせる事を分かっていながら、さきほどと同じ言葉を呟いた。
自分はミズホのために死ぬのだと。
それがミズホの里の民の使命だと理解して欲しいと願いながら。
「………アホしいな」
ゼロスはわざと聞こえるように呟いた。
確かに馬鹿だろう。それはしいな自身理解している。
だけど愚かな事をしてでも手に入れたい場所がある。
自分が笑って暮らせるような、そんな場所が。
今はまだ遠いけど、きっといつか届くと信じて。
これぐらいしか出来ない事を嘆くより、行動するのが性に合うのだと自分自身を納得させた。
完全に諦めたのか、ゼロスは体をだらりとさせながら、ソファに寄りかかり
ひらひらと手を振った。完全にいつもの彼に戻っている。
「そんじゃまぁ、しいなには野蛮人が住むシルヴァラントで頑張ってもらいましょう。
……俺さまも、衰退世界は嫌だからな。しっかりやれよ?」
茶化した様子で、片目をウインクさせたゼロスを見ながら、しいなはこくりと頷いた。
納得はしていても、理解は出来ていないであろう事はしいなにも分かった。
だがゼロスは気を使わせたくないのか、いつも通り接してくれている。
その気遣いが、しいなには嬉しかった。
先ほどのように、気まずい雰囲気のまま別れる事になったら、
シルヴァラントに行っても、ゼロスの事ばかり考えて落ち着かないであろう事は予想出来た。
生きて返ってこられるか分からない。
だけど、成功して戻ってきた時にミズホの里のみんなが―
そしてゼロスが笑顔で迎えてくれるなら、それを励みに頑張れそうな気がするのだ。
(あたしは、必ず戻ってくる……)
冷めた紅茶で自分自身の表情を見つめながら、しいなは決意を新たにした。
それからゼロスは、いつもの軽口で他愛もない世間話を始めた。
それが彼なりの挨拶だと知ったのは、ミズホに帰った後だったのだが。
「それじゃ、行ってくるよ」
紅茶のお代わりを頼んだ後、準備に時間がかかる事もあり、しいなは里へ戻ろうと踵を返した。
扉の前には、へらへらした男が見送りなのかどうか分からないが、立っている。
彼は右手を軽く上げながら、「いってらっしゃい」と返事をした後、
にやにやしながらしいなにそっと近づいた。
「お見送りのキス、いる?」
「いらないよっ!!」
目と鼻の先にゼロスの顔が近づき、しいなは思わず後退しながら、叫ぶ。
耳まで真っ赤になるのが、しいな自身にも分かった。
「ちぇ。チューするチャンスだったのに」
唇を尖らせながらぶつぶつと呟くゼロスをきつく睨んだ後、
しいなは付き合っていられない、とでもいいたげに
わざと足を踏み鳴らしながら、屋敷を後にする。
するとどこからか、ふわりと風の匂いがした。
さらさらと流れる風を心地よく受け止めながら、しいなは目を細めた。
刹那。
「 」
「………え?」
声は、風の音にかき消された。
驚き振り向くと、丁度扉が音を立てて閉まりかけていた。
赤い髪が風に揺れる。
それを端に捉えたが、ゼロスの表情を見ることは出来なかった。
完全に人のいなくなった扉を見つめながら、しいなはただ呆然と立ち尽くす。
あれは気の所為だったのだろうか。
(いや、でも……)
確かにゼロスの声が聞こえたような気がする。
だけどしいなは、ゼロスのあんな弱々しい言葉を聞いたことがない。
いつもの強気でふざけた調子の彼らしくない囁きだった。
(……やっぱり、気のせいか)
そうでも思わないと気になって集中できない、と思い忘れる事にした。
だけど、もしあれが彼の言葉だとしたら。
しいなの胸の鼓動が少しだけ早くなる。
何故だか泣きたい気分だった。
嬉しい反面、彼がどんな気持ちでそう言ったのかを考えると、申し訳ない気持ちになった。
だけど答えたいのだ。王の期待にも、皆の信頼にも。
一度大きく息を吸って、しいなは大きく前進した。
迷いは完全に吹っ切れた。あとは実力を出し切るのみである。
軽い足取りで歩く彼女がゼロスの屋敷を振り返る事は、なかった。
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後書き(白文字)
ゼロスのセリフは見ている方の妄想…じゃない、想像にお任せです。
「お前俺さまのお茶菓子食いすぎだろ!」でもいいし。(ギャグか?)
しいなもゼロスも自分の居場所に関しては戸惑っているような所があるので、
それを表現できたらいいなーとか思ってたんですが、
しいなの場合戸惑いすぎて何回言ってるねん、みたいな状況に…
逆にゼロスは戸惑いすら見えない(´・ω・`)だめじゃん。